2003年5月のメッセージ


新聞、読んでますか?


ホームページ(HP)にメッセージを書き始めて1年を越えました。最初はメッセージは短い方がいいと思って、スクリーンに一度に見える長さ(1000字)にしていたのですが、いまでは3000字です。野口悠紀夫さんは、「超文章法」でたしか原稿は150字、1500字、15,000字がいい長さと言われていたと思いますが[1]、私にはその倍の長さの方が書きやすいようです。


ホームページの威力は予想以上に大きく、「第4の権力」であるマスメディアの独占的情報操作能力を形骸化させるかもしれません。昔から労働組合や昔の大学生はマスメディアに対抗してタテカン(立て看板)や壁新聞を活用していましたが、HPはそれより圧倒的にパワフルです。キーワード検索を使えば、簡単に知らない人のメッセージに辿り着きます。壁新聞は、人通りの多いところに掲示しなければならず、それは結局は権力者に管理されますが、HPは国家には管理できないだろうと思います。

小泉さんがメールマガジンを発行したら、新聞記者の書く内容より小泉さんのメルマガの方が本人のメッセージを色眼鏡を通さず聞くことができます。そこで新聞は、一般人が入手できない官邸の話題として、官邸内のスキャンダルや政局など井戸端会議(ワイドニュース的内容)を記事にし始めました。これはメディア自体の自殺行為であるばかりか、国民を政治の当事者から観客に変えてしまう危険性があります。

いま、多くの政治家がHPを開設しメルマガを発行しています。小泉さんのメルマガ発刊以前に、加藤紘一さんはすでにHPを駆使されており、国民を直接巻き込んで政変を仕組むことに成功されました。結局は失敗されましたが、それは最後には旧来手法に陥ったからで、HPの手法は有効であったと思います。

新聞のみならず、百科事典も存在意義が低下しています。グーグルやヤフーを使えばニュースも歴史も、直接、手に入ります。パワーマック3月号の記事によれば、それぞれのサイトの中のサーチエンジンすら不要で、グーグルから直接検索する方が早いそうです。ブロードバンドの到来は、わずか数年前のインターネットの常識も時代遅れの化石にする様相です。

本屋さんに行かなくてもアマゾンで欲しい本が手に入り、ホテルも車も野菜もeオークションで安くて手にはいるようになると、大企業独占の時代から昔の個人商店や物々交換の時代に戻るのかもしれません。それこそベンチャービジネス・チャンスです。

では、すべてがインターネット情報に支配されてしまっていいのかというと、決してそうではないと思います。意図的にあるいは無作為に誤って提供された情報をどうやって見抜くのか。我々はすでに、「情報収集」の時代から「情報選別」と「情報分析」の時代に生きています。新聞記者は伝聞情報の提供よりも、それを選別し分析し統合し予測することが仕事になると思います。その意味で新聞と雑誌の違いが明確ではなくなりつつあるのかもしれません。企画力が問われる時代です。そして、それは新聞編集にとって、とても楽しいことだろうと思います。

誤った情報を新聞が提供し続けた典型的な例として、前期旧石器捏造事件があります。毎年、ゴールデンウイークになると遺跡発掘による旧石器が発見され、それらは記者会見を通じて、何の疑いもなく新聞紙面を大きく飾りました。学会の権威と新聞社は、いまだこの歴史捏造事件の片棒を担いでしまったことに対して総括ができていないように思えますが、救いは、この嘘が毎日新聞の支局記者のスクープによってマスメディアが自らによって解明されたことと、この学会の権威を暴くスクープが最初は個人の「ホームページ」上に掲載された論文から、発掘(まさに発掘!)されたことです。(このあたりは文芸春秋5月号の竹岡俊樹氏の論文によります[2])。北朝鮮による日本人の拉致が「まさかあり得ない」として長く取り上げなかったことについても、メディアの報道には物足りないものがあるかもしれません。

猪瀬直樹さんは、「小論文の書き方」の中で、「20代から30代の若い記者が~(中略)~情報を収集するだけで、自分の見識で署名記事を書く機会がほとんどなく、40代になるとデスクと称して現場から上がってしまう。政治家は選挙で洗礼を受けるが、ジャーナリストの方は責任を問われずつつがなく過ごす方が大事になる。」と指摘されておられます[3]。私の親しい若手の記者も、そのことを自らの将来を悩んでおられます。もし本当なら、現場を見ずにどうやってデスクは情報の選別と分析、編集の企画ができるのだろうかと、不思議に思います。

2ヶ月ほど前、産学連携と関西の活性化に関連するシンポジウムがありました。そのパネルディスカッションにおいて、東京から来られたパネリストが「関西の人達は、東京を妬むことなく、もっと元気に自分たちで努力をするべき」との主旨の発言をされました。シンポジウムを主催する新聞社の論説の方の意見です。関西経済界への励ましのメッセージのつもりであったのだろうと思いますが、私はこの考えに強く反論しました。「ジャーナリストにはもっと現場を見てほしい。いまの関西の不況は構造的なものであり、関西人の努力だけで解決できる問題ではない。北海道から沖縄まで、地方全体の問題である。大手町に座っていては、いまの不況の根元は分からない」と、反論しました。ハワイやシンガポール、台湾には活気があるのに、同じ環境(東京から離れた南の孤島)の沖縄だけが、なぜ経済的に厳しいのか?スエーデンやフィンランド、デンマークなどの北欧の国が豊かでが自立しているのに、なぜ似た環境の北海道は国の助成金頼りなのか?

沖縄も北海道も、日本から独立したらシンガポールやフィンランドのようにもっと豊かになれるかもしれません。大阪は天皇も将軍の居ない町人の街でありながら、自主独立の都市として長く栄えてきました。この街が戦後に地盤沈下し不況に最も苦しむのなら、それは日本の戦後の官僚規制による社会主義国家政策の敗北でもあると思います。地方を中心として日本が苦しんでいる。その構造を知るためには、新聞記者はもっと現場を歩いて人と話すことです。東京から地方に情報が流れるのではなく、地方から東京に情報が流れるようにならなければ、日本の復活はないだろうと思います。そして、ブロードバンドが、それを可能とするだろうと思います。
SK

[1] 野口悠紀夫「超文章法」、中公新書、2003年。

[2] 竹岡俊樹「旧石器捏造「神の手」だけが悪いのか」文藝春秋、2003年5月号

[3] 猪瀬直樹「小論文の書き方」文春新書、2001。p44。 「新聞の儀礼性と小沢一郎のラディカリズム」。週刊文春「ニュースの考古学」(1994年6月9日号)からの採録。


Co
pyright © 2002-2009 河田 聡 All rights reserved.