2004年5月のメッセージ

北京の壁と瓦屋根
北京の胡同(Hutong)の家。灰色の屋根瓦と灰色の石の壁。04年4月20日。

97年にアメリカで見たRichard GereとBai Lingの映画「Red Corner」がいたく気に入ってしまって、灰色の壁と瓦屋根の続く北京の下町を鶏が走りGereが自転車で走り回るあの画面のロケ現場を見たいと思って、北京に行くたびに探すのですが、なかなか見つかりませんでした。一度、北京の中央駅に近くにそれらしい風景に出くわしたのですが、ちょっと違う。4月に北京への2日間出張の機会があったので[1]、阪大の研究室のメンバーでありかつ中国科学院の教授の段宣明君に、探してもらいました。彼も行くのが初めてという胡同で、ついにそれらしき景色に出会いました。少し違うようだけれど、きっとこれに違いない、まさに映画の中にいるような気分でした。映画と少し違うように感じるのは、映画がアメリカ人による味付けになっていたからでしょう。Ridley Scottが監督する「Black Rain」の中でMichael Douglasが阪急梅田駅の百貨店とグランドビルの間をバイクで走りましたが、「ええ? これがアメリカ人の大阪の街のイメージ?」と驚きました。それと同じです。アメリカ人の偏見と憧れが交錯していて、なかなか面白い気がしました。

主演のRichard Gereは、「アメリカン・ジゴロ」や「愛と青春の旅立ち」「プリティー・ウーマン」など役どころがセクシーすぎて苦手な人も多いようですが(もてる役をするので、むしろ男性に人気があるかも)、一方、敬虔なチベット仏教の信者であって中国の人権保護活動家のリーダーの一人であるという硬派な素顔を持っています。「Red Corner」も、彼の中国政府の人権問題に対する反対活動の一環でもあるのです。主題は中国人の女性弁護士Bai Lingとアメリカのビジネスマン、Richard Gereの物語ですが、背景には中国の裁判制度の形式主義、政治腐敗、人権侵害などが、さもありなんと描写されています。

中国ではもちろん上映を禁止され、アメリカでも中国人から上映に対する反対運動・抗議運動があったそうです。日本でも、この映画は映画館では上映されなかったと思います(多分)。ところがテレビでは幾度か放映されビデオも出ていて、そのあたりが日本の無節操さというかいい加減さでしょうかね。

この「Red Corner」の邦題は「北京のふたり」です。日本ではどうしてこんなに安っぽい題名に変わるのか、原題の中国に対する微妙な含みが何もない単なる薄っぺらな恋愛映画のようで、作者に申し訳ない気がします。この映画のタイトルシーンでは英語のタイトルが反転して「紅角落」という中国語の題名も出てきました。なぜこれにしなかったのでしょう? 同じRichard Gereの「愛と青春の旅立ち」も、「An Officer and a Gentleman」という素晴らしい原題を、安っぽくてつまらない邦題に変えています。原題に含まれるいろんな背景やニュアンスをすべて打ち消して軽薄な題名に変えるのは映画会社が日本人とはその程度のレベルだと見下しているからなのでしょうが、作者や作品に対する冒涜です。

以前、このホームページ・コラムで新しい外来語をなんでも和製中国語に変えたがる国語審議会の人たちの無教養を批判しましたが、それと同じ恥ずかしさと苛立ちを覚えます[2]。もっとも、大銀行名だって脈絡もなく自らの名前を「みずほ」や「UFJ」、「りそな」と変えてしまうのですから、映画のタイトルの改題ぐらい日本人には何でもないのかのしれません[3]

アメリカ映画のすごいところは、他国(中国政府と中国共産党、裁判制度など)に対する批判を平然とすることです。他国の現在の国家権力や国民性を平然と侮辱するアメリカの言論の、自由さというか余裕は大したものです。日本の国と日本人を侮辱した映画もこれまでにたくさん作られていますし、最近ではソビエト海軍が整備不良の原子力潜水艦を航海に出すというストーリーのロシア批判をしたHarrison Fordの「K-19」などがありました[4]

アメリカ映画には、他国を侮辱したり批判する以上に自国の政府や軍、警察官などの権力の不正を批判する映画が、無数と言っていいぐらいあります。半数以上のドラマに権力批判が入っているのではないでしょうか。「Red Corner」ではフィクションながらも北京の米国大使館と大使館員を痛烈に批判し侮辱しています。日の丸と国歌斉唱を強制する国と、権力批判を平然と許しながら結局は国民が星条旗を誇っている国とでは、政府や権力者の余裕に根本的な違いがあるようです。

日本では権力を批判すると怖いので、皆が権力者に媚びがちです。3月まで機構長を勤めた阪大FRCでは、これまでの大学では出来ないことをやろうとしてきたので、大学を運営してきた権力側には納得して頂けない活動が多くあったと思います。私たちは教授達より学生や社会の声を大切にしなければ日本の大学は世界に貢献できないと考えて活動してきました。教授が大学の仕組みを決めて運営をするべきだとする古い考え方の人たちや、日本の戦後を支えたと自負される歴史ある学科・学問・産業に基礎を置かれる人たちには、面白くなかったのでしょう。結局、変革に抵抗感のある人たちが、阪大FRCの組織や運営の見直しを始められました。私は自分の後任には、新しい学問分野に挑戦している人、新しい産業を開拓しておられる工学者、自らベンチャービジネスやこれまでとは異なる産学連携に挑戦している研究者を期待したのですが、結果はそうはなりませんでした[5]

うーん、アメリカ映画のようにはいかない??

いいえ、アメリカ映画でも正義は権力に何度もつぶされながら、最後の最後に大逆転するのです。それが痛快だからミーハーな映画ファンはやめられない、と言うわけです。

小さな社会だけで生きていると、外の社会が見えなくなります。北京では景山に上ってみました。そこから見た紫禁城(故宮)の広いこと。その中に数百の建物があり、京都御所とはまるでスケールが違います。明朝から清朝にわたる数百年の中国皇帝支配の広大な時空間を夢想して、日本でどうやって今の社会の大きな変化の潮流に気づいてもらうのか、考え込みました。今回の北京の出張は、中国科学院から名誉教授の称号を頂戴して、中国科学院に河田研の研究分室をつくることが目的でした。このような小さな活動が、将来の大きな潮流の源泉の一つになればと思います。

と、ここまで書いて気がついたのですが、チベット解放運動のリーダーをして活動をし続けてきてまた中国の人権問題を国連などで演説するRichard Gereが、北京の真ん中でどうやってこんな中国批判の映画を撮影できたのでしょうか。調べてみると、Richard Gereは過去に30回も中国にビザ申請をしていながら、一度も入国を認められたことはないそうです。なあんだ、Richard GereもBai Lingも中国でロケはしていないんだ。私の探し求めた灰色の街並みは、すべてHollywoodにつくったセットでした。

映画とは虚構と現実の交錯する幻想の世界。だからこそ私たちはいつも映画に魅了されるのです。SK

[1]    朝日新聞4月30日朝刊6面(大阪本社版)。「阪大の河田さん、中国でナノテク指南」
[3]    朝日新聞5月4日朝刊(文化面)「袖のボタン:元号そして改元」の中で、丸谷才一さんは「みずほ」や「東京メトロ」「平成」などの稚拙な改名にとても怒っておられます。
[4]    これも原題は「K1-9;Windowmaker」なのに、思慮なく原題を縮めてしまっている。
[5]    日経新聞5月6日夕刊及び5月7日夕刊。「科学技術拠点へ走る大学人:阪大が社会と接点探る。上・下

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