2004年8月のメッセージ

セレンディピティー

いつの間にか、世界中でコカコーラの瓶がペットボトルになってサイズが大きくなり、映画館のポップコーンもバカでかくなり、ハンバーガーまで昔より巨大になっています。その結果、人類はどんどん「肥満」化してきているそうです[1]。そんなに空腹でもないのについお菓子に手を出し、コンビニでもレストランでもつい余分に買ったり注文してしまうことがありませんか。

食物のみならず、情報量も急速に増大しつつあります。人々は昔よりもはるかに簡単にたくさんの情報を食べる(?)ことができるようになってきました。要らないと言っても向こうから勝手に情報が来ます。その結果、人々は「情報肥満」になってます。情報を吸収するばかりでその内容を十分消化できないのです。脳が情報を食べ過ぎて肥満になって、動きが悪くのです。食べる量に対して運動量が足りないと言ってもいいでしょう。

研究の世界でも、毎日たくさんの情報を手に入れて一生懸命研究をしていても、何も創造できない人たちが増えています。食べ過ぎは胃を肥大させるだけで機敏に動けなるように、情報漬けは創造性を失わせます。

漫然と(あるいは必死に)食べて生きて研究するのではなく、溢れる情報の中から必要なものだけを見つけ出すことのできる鋭い洞察力と分析能力、そして求めるものを待ち続ける忍耐力、他の研究に惑わされない強い自信と覚悟などが、必要なのでしょう。優れた研究者やビジネスマン、会社経営者たちには、生まれつきか自然にかあるいは努力をしてか、とにかくこれらの能力を身につけているのだろうと思います。その結果、時として他人には真似のできない大成功を収めるのです。

リンゴが木から地上に落ちるのを、広い地球の上で長い歴史の中でたくさんの人が眺め続けてきましたが、アイザック・ニュートンだけはそれを見て、「なぜリンゴは地上に落ちるのに月は落ちないのだろう」と考えました。リンゴはまっすぐ地上に落ちるのに、月はどうして地上に落ちず、その回りを周回しているのだろうかと考えました。そうか、月は地球からの引力を受けながらも落ちるよりも高速に水平に運動をしているのだ、と気づくのです。万有引力の発見と共に、天体の運動まで解明してしまいました。

果樹園のリンゴの木の下でお茶を飲んでいるときに、一つのりんごが落ちてきたのを見たことがきっかけだったそうです。

ニュートンも含めて大発明・大発見とは「偶然と洞察力」がもたらすものだと、ロイストン・ロバーツは語ります[2]。彼の本のタイトル通り、このような才能は「セレンディピティー」と呼ばれます。爽やかな響きのこの言葉とその意味は、この本(1989年)がきっかけとなって、世界の科学者を魅了しました。著者も訳者も化学者であることから、特に化学系の化学者に大いなる刺激を与え、日本では白川英樹博士がノーベル賞を受賞されたときに、講演会などで発言されていました。物理学の世界で最もノーベル賞候補の呼び声の高いカーボンナノチューブの発見者の飯島澄男さんも、学術誌・応用物理に「セレンディピティー的発見」という巻頭言を書かれています[3]

ここからはいろいろな書物の受け売りですが、ホレース・ウォルポールという英国の小説家が、スリランカ(昔はセレンデイップと呼ばれていた)の昔話に出てくるセレンディップの三人の王子様の才能を、セレンディピティーと名付けたそうです。冒険旅行に出た王子たちがラクダ引きに出会って、彼のラクダは片眼で歯が抜けていて片足を引きずっていることを、見事に言い当てました。王子たちは来る途中に、道ばたの草が片側だけ食べられていて(だから片眼が見えない)、食べられた草の跡形が歯の抜けたラクダの噛み跡であって、しかも片足を引きずったような跡だったからだそうです。まるで、科学者や技術者の発見の場面を見るようです。「セレンディピティー」を広辞苑を開くと「思わぬものを偶然に発見する能力。幸運を招きよせる力」とあります[4]。それに加えて、ロバーツは「洞察力」を主張します。幸運なる思いつきとか掘り出し物と言うだけでは、セレンディピティーと言うには相応しくない。機械工学を学ぶ人なら誰でも知っている有限要素法にも、要素関数の分類にセレンディピティー族と言う言葉ができてきます[5]。目視で直感的に見つけられたとのことですが、ちょっと無理がある気がします。

私自身も、以前、学術誌・応用物理の特集「チャンスを生かせ」で、発見・発明とは草花を育てるようなものですと説明しました。「研究のタネを植えて毎日水をやり肥料を工夫して害虫を除き、そして天候に恵まれると、ある日突然、アイデアは生まれてくるものです」と述べています[6]

私の研究の中で、いくつか自分で気に入っている研究があります。たとえば、学位論文は画像処理についての研究だったのですが、その中で、観測系で劣化(ぼけた)した画像を回復させるために、コンピュータの中でわざともう一度画像をぼかせて(劣化関数を観察画像にコンボリューションさせる)、そこから画像を戻す「再劣化」という方法を提案しました。これは、伝達関数を非負(劣化関数を対称)にするためであり、これによって反復計算で行列方程式を解くことができるようになるのです。よく考えれば当たり前のことですが、効能は絶大で、このアイデアのおかげで学会などからいくつかの賞を頂きました。小さな発見ですが、これがきっかけで研究者として生きていくヒントを掴んだような気がします。ついでながら、大学の教養で大嫌いだった線形代数を好きになった瞬間でもありました。もし、このアイデアが学位論文に間に合わなければ、卒業後はきっと研究者と違う道に進んでいただろうと思います。

いまや近接場顕微鏡の標準になった散乱型のプローブは、それまでの微小開口の代わりに微小散乱体を使うというものですが、これは朝の通勤の車の中で思いつきました。大学に着くと当時学生だった井上君(現在・阪大助教授)と杉浦君(現在・奈良先端大学院大助教授)に、進行中の研究をすべて中断して実験して確かめて欲しいと頼みました。アイデアは二つあって、92年のSTMの金属針を使う方法と93年にはレーザートラップした微小球を使う方法ですが、どちらも車を運転しながら思いつきました。毎朝、思いに耽けりながら運転するのが癖になっているので、私の自動車の近くには近づかない方が安全です。これらのアイデアと実験によって、IBM科学賞や島津賞などの権威ある賞をたくさん頂戴することになりました。毎日思い詰めていたところに、実験室ではなくて車の中で偶然にアイデアが生まれるのは、セレンディピティーなんだろうと思います。紫外線硬化樹脂の中でのファイバー構造の成長やその分枝・合流のアイデアは、実験結果を見ながら川の流れを思い出したことによって生まれました。

いずれも、仕事から頭を切り換えたときに、いつも気になっていることの答えがふっと浮かんでくるようで、そのときのために私は小さな手帳をいつも手元に置いています。車の中でもベッドの横でもそうですが、さすがに風呂の中での思いつきはどうにもなりません。アルキメデスはいつも風呂の中で思いついて、裸で飛び出したようですが……。

ところで前出のロバーツの「セレンディピティー」の本の中で、コロンブスの新大陸発見にはセレンディピティーはないと、彼はいいます。コロンブスは新大陸を東インドだと思い、新大陸を発見したのだという認識がなかったからです。

何年か前に「セレンディピティー」というに映画がありました。ニューヨークとサンフランシスコに住むふたりの出会いと数年後の運命的な再会の映画です。ふたりは何度も一瞬のところをすれ違うのですから、洞察力が全然なくて、ロバーツの定義による「セレンデイピティー」はなかったかもしれません。でも、「セレンディピティー」があろうがなかろうが、この映画を見た人はすべて幸せな気分になって、きっとそのうちセレンディピティーが備わると思います。



残念ながらこの映画のDVDは品切れだそうです。SK

[1]    National Geographicの8月号の特集に詳しく出ています。私は、この雑誌を30年以上購読しています。途中、購読をやめていたり、日本語版に変わったり、いろんなことがありましたが、相変わらず購読を続けています。
[2]    R. M. Roberts「Serendipity: Accidental Discoveris in Science」John Wiley, 1989。和訳は1993に東京化学同人から、安藤喬志訳「セレンディピティー:思いがけない発見・発明のドラマ」。
[3]    飯島澄男「セレンディピティー的研究」応用物理、72巻、5号 (2003)。
[4]    ちなみにエリザベス・ジャミソン・ホッジズ著「セレンディップの3人の王子」(Atheneum、1964。絶版)の和訳が今年7月24日にパベル・プレス社から発売されました。私は今デンバーにいて未だその本を手に入れていません。ついでにいうと、日本橋のソニープラザの名前はセレンディピティー、JAVAの解説書を出す出版社の名前はセレンディップです。
[5]    ツィエンキーヴィッツ「基礎工学におけるマトリックス有限要素法」培風館出版
[6]    河田 聡「レーザー顕微鏡と近接場光学研究に至った由縁」 応用物理、67巻、8号 (1998)

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