2004年11月のメッセージ

手作りのノートブック

今、私の手元に90頁の手作りのノートブックがあります。表紙には「河田先生へ。三鷹市立第4小学校6年。2004年10月28日」と書いてあって、私の写真が貼ってあります。先日、この小学校で私がナノテクノロジーの話をしたときの感想を、一人一頁ずつ書いてくれた文集です。いつも大人にしか講演しない私が、いきなり小学校の皆さんに話をしたのですから、思い切り難しかったはずなんですが、それぞれにいろんな感想を書いてくれたり、「応援しています」とか「頑張って下さい」とか励まして(?)くれたり、読んでいて幾度も幾度も微笑んでしまいました。これまでいろんな賞を戴きましたが、この文集は間違いなく、私への最高のご褒美です。4小の6年の皆さん、6年担任の麻生崇子先生、岡田実・校長先生、貝ノ瀬滋・前校長先生、阪大FRCの鈴木崇弘副機構長、その他お世話下さったたくさんの方々、有り難うございました。

これまで、大学の開放講座や社会人向け、経営者向けや高校生向けなど、様々な場所で講演をしてきましたが、こんなたくさんの感想文と純粋な気持ちの言葉をもらったのは初めてで、とても感激しています。

三鷹第4小学校にお邪魔したとき、校長先生は「うちの学校の門は開いたままなんですよ」と言われました。私が学んだ大阪・池田の小学校で、3年前に児童8人が侵入者によって殺されるという悲惨な事件がありました。いま日本の学校は、子供たちの安全にとても苦慮されています。学校に犯罪が起きないようにするためには、門を閉じて外部の人が入れないようにすればいいのですが、それでは児童への犯罪が校外で起きるだけで本当の解決にはなりません。あるいは、コロンバイン高校の乱射事件のように、生徒自身さえ加害者になりうるという現実も受け入れざるを得ない時代に、我々はいます。

結局は、学校を社会から隔離した特別な場所として考えるのではなく、学校は社会の中に在るのだという当たり前のことを、皆が認めるしかないのでしょう。むしろそう考えると、学校と校外を合わせてひとつの地域社会だと考えて、学校の先生と町の人たちが一緒になって住みよい社会を作るのだろう、と思います。

岡田校長と鈴木崇弘さんに教えて頂いたのですが、三鷹4小では前の校長先生の時から、コミュニティー・スクールとして社会との関わりを大切にされ、地域の人たちが教育ボランティアとして、パソコンや英会話などいろいろなことを生徒さんたちに教えておられるそうです[1]

とくに驚くべきことは、アントレプレナー(起業)教育までやっておられるとのことです。子供たちは校長先生からお金を借りてお店をやって、ビジネスをすることの楽しさや難しさを学ぶそうです。働くこと、お金を自分の力で稼ぐことの尊さ、難しさや喜びを学ぶことは、とても大切なことだと思います。大学生ですら、働くことやお金を儲けることの尊さを知らないまま、卒業・就職シーズンになると、自分の決断よりも締め切りに追い立てられて、大企業に集団就職しているのに、この学校では小学生がすでに働くことの意味を学んでいるのです[2]

アメリカやイギリスに行くと、小学校から大学に至るまで開放的であり、塀やフェンスに閉じられた学校など、ほとんどありません[3]。広々した芝生の中に学校の校舎が建っていて、町の人は自由に学内にはいることが出来ます。体育館や運動場、プール、図書館などの施設も、授業の時間以外は市民に開放されています。

これに対して、日本の大学の閉鎖性はひどいものです。私の勤める阪大の吹田キャンパスも、周囲がフェンスや塀で囲まれていて、地域の人にとっては入りづらく、なんらか危険な生物兵器の開発でもしている「軍」施設のように見えることでしょう。町の人がキャンパス内を自由に散策する姿など、ほとんど見かけません。キャンパスの回りのフェンスや塀をすべて撤去して、どこからでも地域の人が通り抜けれる大学や学校にしたいものです。

三鷹4小に行く少し前に、大阪の豊中でコミュニティー・ビジネスを支援する活動「MOMO」でお話をする機会を得ました[4]。会合は「地域の財を活かす研究会」、私に与えられたタイトルは「大学の財を地域に活かす」です。そこで、私が大学の塀の話をすると、同調する意見がたくさん出ました。私はすべての関係は、mutualでinteractive、相互的で相関があると考えています。ですから、大学が町に背を向けるのは、その町が大学に背を向けているからだ、と思うのです。大学の財を活かす、と言うテーマでそのことを伝えたかったのですが、なぜか会合は大学や学校の悪口大合唱で終わってしまって、少しがっかりしました。

私が言いたかったことは、町の人たちが大学や学校の設備や人材、文化をうまく活用できていないこと、学生や教授、大学発ベンチャーを町の財産と思っていないこと、だったのです。その証拠に、最近の日本では、大学も高校も町の中心から追い出して、駅から遠く離れた不便なところに作ります。折角の財産を町の隅に追いやってはもったいない、と思います。

外国では、町の真ん中に大学があり学校があります。日本もかつてはそうでした。街中には、大学で働く知識人・外国人、大学で学ぶ若者・留学生、大学から生まれる知識や技術をつかう起業家の卵、クラブ活動が趣味が高じて本職になってしまった芸術家など、いろんな人がたくさん暮らしていて、町は若さを保つのです。

ですから、大学を持つ町は本当はとても恵まれた町だと思います。町は、大学とそこに学ぶ若者を地域の誇り・財とし、市民は地域ボランティアとして大学や学校に出入りをし、学生や研究者を支援してほしいと思います。

豊中で話すそのまた少し前、かつての阪大の中之島キャンパスの跡地に出来た新しい阪大中之島センターで、適塾研究会が主催の会合があり、「適塾に学ぶ新しい大学のしくみ作り」というタイトルで話す機会を頂きました[5]。幕末の大坂に生まれた適塾には、日本国中からあらゆる階層の若者が高い志を持って集まり、共に学び共に暮らし共に育って、そして全国にまた巣立っていき、ある者は大村益次郎のように官軍(新政府軍)の指揮官として、ある者は大鳥圭介のように旧幕軍の指揮官として、ある者は福沢諭吉のように教育者として、そして多くの者は蘭学医として激動の時代を切り開いていきました。

大坂に元気があった時代には、若者は全国から適塾で学ぶために大坂に集まり、大坂の人たちは塾生を温かく迎え応援をしたようです。講演では、その適塾から始まった阪大と、それぞれ歴史ある大阪外大や大阪教育大学という国立大学がすべて大阪市内から出て行ってしまったことが、大坂の地盤沈下の最大の原因であると訴えました。学校を大切にする町は、若者や知識人、外国人や起業家を大切にする町です。大学を捨てる町は、いずれは衰退します。

働く人や学ぶ人を大切にされていない国の若者は、働くことの大切さと喜びを知りません。そのような人たちはNEETと呼ばれて、いま日本の社会現象に発展しつつあります。いまの日本では、税金を納めない人(年金受給者や貧しい人たち)を大切にするあまり、働く人(すなわち税金を納める人)を尊敬する心が、すっかり失われてしまっています。汗流し働きお金を儲けることを尊ぶ気持ちが、いまの日本にこそ必要だなあと、三鷹4小に行ってみて改めて感じました。

次回は中学校(荒川第3中学校)で講演をする予定です。この次はもう少し上手に教えられるよう頑張ります。SK

[1]    奥村俊子・貝ノ瀬滋「子供・学校・地域をつなぐコミュニティースクール」学事出版、2003
[2]    ロバートキヨサキは、アメリカでの超ベストセラー「金持ち父さん、貧乏父さん」(筑摩書房、2001)で、お金を儲けることは汚いことではなく尊いことだと教えています。日本でもよく売れたのですが、学生たちはどれぐらいこの本を読んだことでしょう。
[3]    治安の良くないロスアンジェルスのダウンタウンにあるUSCでは、塀があり門がありますが、あくまで例外です。UCLAなどは塀はありますが門はありません。お金持ちが行くパブリックスクールでは、塀と門があることがあります。
[4]    片岡勝さんが主催する、コミュニティー・ビジネス活動の一つ。
[5]    この講演をするに当たり、初めて適塾を訪問しました。司馬遼太郎さんの「花神」を読んでから行ったので、とても感激しました。江戸時代に商家を転用した適塾がそのままの形で残って、街中にひっそりんでいます。大阪に来られたときは是非、訪問されることをお勧めします。

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