2005年1月のメッセージ

2005年1月と2月の「今月のメッセージ」が、本になりました!

発行:(株)アドスリー、発売:丸善(株)

卒業論文の書き方

1月になると、研究室では学生の卒業研究や学位論文の追い込みに忙しくなります。普段に文章を書くことがまるでなくて超・理科系の学生たちが、いきなり分厚い卒業論文を書くことは、人前で歌などを歌ったことのなく音痴を自認している人が、いきなり卒業式で独唱をしろと言われるようなものです。回りに迷惑だし自分も恥ずかしい限りです。でも卒業したければ、卒業論文は書かざるを得ない。そこで、今月は、小学校から高校まで国語が大の苦手だった私から理系の学生へ卒業論文の書き方を伝授したいと思います。

1)作文は理科である。

小学校のころ、私は作文がなにより嫌いでした。読書も好きではありませんでした。興味がなかったのでしょう。興味のないことを無理にさせられると、人は器用・不器用にかかわらずそのことが嫌いになってしまいます。興味のない本の読書感想文を無理矢理書くことは苦痛であり、それを繰り返すうちにだんだん国語が苦手になっていまいます。高校になると理系・文系という分類ができて、自分は理系だから文系科目は出来なくて当然と、開き直ってしまいました[1]

でもいまは、文学は文系の学問ではなくて、科学だと思っています。小説も映画も私にとっては文系というよりも芸術であって、そして芸術は間違いなく科学なのです[2]。卒業論文にも、いわゆる文系的センスや文学的才能などは必要はなく、科学的に文章を作ればいいのです。文章が下手だからとか書くのが下手だからと言うのはウソで、作文の科学を楽しむ機会がなかっただけです。卒業論文の科学とは、理系が大好きな、合理的なルールに従った緻密なテクニックと羽目を外した工夫による組立の科学なのです

2)話しかけるように書く。

すべての文章は、人に読んでもらうために書きます。卒業論文の読み手は、指導教官であり審査委員の先生方です。だから、卒業論文は指導教官や審査委員の先生方に話しかけるように、先生方に興味を持ってもらうように書きます。審査委員の先生に「この学生はよく頑張っているな、よく分かっているな」と思わせるように書くのです。審査の先生の前での発表だと思えばいいでしょう。

理系の卒業論文には、まるでカタログのような論文や、誰にも語りかけない自分だけの記録のような論文がよく見受けられます。自分の研究を後輩が続けられるように、実験の手順や詳細をカタログのようにまとめたレポートは、後輩たちには重要ですが、その読者は後輩であり、これは卒業論文ではありません。いろんなことを忘れないようにメモ書きを書いておくことは大切ですが、これは読者が自分自身であって、実験ノートの類でしょう。学術誌への論文は、同じ分野で研究を競い合う研究者への、新しい発見や発明の主張と情報の提供が目的であり、そのような学術論文と卒業論文は異なるべきです。発見や発明があったから論文を書くのではなく、卒業の時期が来たから書くのが卒業論文であり、新しいことを見つけたから書くのが学術論文です。

このように、同じ内容でも、読み手によって文章はスタイルを変えるべきです。卒業論文は、自分が卒業する資格があるほど賢くなったことを指導教官や審査の先生方にアピールすることが最大の目的です。誤字脱字や文法ミスなどの簡単なミスは、卒論締め切りに向けての時間配分すら出来ていない未熟さを曝しており、実験も考察も不十分であることの証明になります。予め分かっている締め切りすら守れず、誤字脱字を含んだままの論文を持ってくる学生を、卒業合格として社会に出すことは指導教官にはできないでしょう。

3)序論がすべて。

論文はかならず序論(イントロダクション)から書いてください。映画も小説も、授業ですら導入部はとても大切です。あなたのすべての情熱を、序論に注ぎ込んで下さい。論文執筆の時間の半分ぐらいを、序論の構想と執筆に費やすのがいいでしょう。審査の先生は、必ずまず序論を読みます。それどころかしばしば、序論だけしか読みません。序論がいい加減であると、一事が万事。本論も良くないだろうと思いこんで、評価が下るかもしれません。

序論は、どうしても本文が読みたくなるように書くべきです。文字通り、イントロダクション(導入部)です。忙しい先生に序論を超えて本論の何ページ目まで読ませるかが、学生の勝負どころです。ましてや序論の途中で投げ出されしまうような序論は卒業失格です。これは学術誌の研究論文でも同じことです。数多ある論文の中から、読者にあなたの論文の何行目までを読ませるかが、勝負です。

1か月ぐらいかけて、いくつもの異なる序論を書いてみましょう。そしてその中からもっとも魅力的で知的で面白くて読みやすいストーリーになっている序論を選びます。複数の序論を混ぜあわせてはいけません。ストーリーは一つだけです。序論のストーリーは、机の前に座っていても浮かんできません。実験をしながら、実験ノートをまとめながら、友達や家族と日常生活を過ごしながら、いつも序論を気にし続けていると、ふと思いつくものです。思いついたときは車を止めて(?)、すぐにメモを取ってください[3]

序論には、できる限り個人的なメッセージや見解を書いて下さい。何故、自分はこの卒業研究をするに至ったかを書きます。子供の頃の体験が原点、世の中の役に立とうと思ったことがきっかけ、研究室に入ってみてこのテーマが面白そうだったから、著名な論文を読んでまねをしたくなったから、それを超えることをしたくなったから、研究分野でまだ実現できていないことをやってみたいと思ったから、、、、。いろんな動機があるでしょう。先生に決められたテーマだったとしても、研究をするうちに自分なりに感じたことがあるはずです。歴史、現状、未来、原理、疑問、冒険、それぞれの人にはそれぞれの動機があるはずです。同じテーマを与えられたとしても、同じ結果を得たとしても、序論だけは人によって違うはずです。

私は、序論には本論のまとめを書かないことを勧めています。第1章では、、、第2章では、、、、、というのは不要です。もしまとめが必要なら、概要(アブストラクト)として、別に書くのがいいでしょう。序論はあくまで本論に至るべき序(イントロダクション)であり、まとめ(サマリー)とは異なります。



ここまで書いて、いつもの長さに達してしまいました。「卒業論文の書き方」の、まさに「序論」しか書けませんでした。本論を書きだすと多分1年がかりになりそうです[4]。それでは今年卒業の皆さんには間に合いません。卒業論文、ご健闘!。SK

[1]日本のX線検査場では、不審者を見つけるという本来の目的よりも、検査項目に従ってただ検査をするという形式が大切らしく、やたらたくさんの検査官が、すべての荷物をやたら丁寧にトレイに載せて、あげくにそれらに別のトレイを蓋にして被せて、時間とコストを掛けて検査していますが、彼らはこちらの顔の表情すら見ません。不審者を見つけるという観点からは、日本が一番ずさんでしょう。事故を減らすことより、厳密に制限速度にこだわってスピード違反を取り締まる警察官と、同じです。憲法だって、言葉尻ばかりの解釈論ばかりで、何故憲法が必要なのか、その議論がありません。イギリスには憲法がないと言うことは、皆学校で学んだはずですよね。アメリカのように、憲法や国旗、国家がなければ国家としてのアイデンティティーのない国と、日本とは異なるので、憲法は必要か、と言うところから議論して欲しいものです。
[2] 国の政策は、普通の人をすらテロリストに変えてしまいます。アルカイダのようないわゆるテロリストと、反政府活動のレジスタンスとの違いも、必ずしも明確ではありません。時の政府に反対する人たちは犯罪者として扱われ、政権が変わればヒーローです。
[3] 一部、環境の悪いところの大学(たとえばUSC)や金持ちの子息が行く学校には塀や門があります。
[4] 毎年、「論文の書き方十箇条」を皆さんに配っています。今月のメッセージはその前章です。

* 論文の書き方のハウツー本がよくありますが、お勧めできない本が多く見うけられます。私のお薦めは、光学研究者の木下是雄氏の「理科系の作文技術」と(中公新書、81年「レポートの組立て方」(ちくまライブラリー、90年)です。

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