2006年4月のメッセージ

WEB2.0(続・とりあえず論)

先々月に「3σのうそ」というメッセージを書き、人は本質的に平等・均質ではなくて互いに個性と格差があるものだということを述べました[1]。その丁度一ヶ月後に、小泉さんが「格差が悪いとは思わない」という発言をし、格差への反発・批判が相次ぎました。格差社会を研究する専門家は、東大の学生の親の収入は平均より高いことを格差社会の到来の証左だと指摘されます。東大生の両親の収入は日本人の平均所得より高く、東大生は中高一貫教育の私学出身者が多いことから、金持ちしか東大には入れないという理屈です[2]。この発想には、東大卒や大学卒が勝ち組だという思いが、なんとなく感じられます。東大生の多くが就職する大企業のサラリーマンが、自営業の方や個人商店主や中小企業の社員や職人(板前さん、左官屋さんやホステス・芸能人、スポーツ選手)などよりも恵まれていて、かつ優れているという発想です。しかし学歴や大学の名前で、人の価値を評価することはできません。格差社会は大いに結構と訴える小泉さんや阿部さんは東大や国立大学出身ではなく、格差社会が問題であると騒ぐ社会党や共産党の党首の方がむしろ東大卒なのです。上記の本を書いた著者もまた東大出身であり東大の助教授をしているので、学歴の低い人たちを下流社会に住む人だと思っているのでしょうか。

格差社会を批判する人たちのいう「格差」とは、収入や学歴、勤務する会社の規模の違いを指しているようです。学歴はなくともあるいは大学中退をしても、自分で会社を興したりお店を開いたり、貧しくとも心豊かに生きる人がいること、あるいは自分のライフスタイルを模索して自由に生きるフリーターがいることを、理解できずに、大学を卒業して大企業に働いて安定収入を得る人が、格差の上方にいるのだと思いこんでます[3]

私はむしろ、日本のみならず世界中(先進国だけですが)で、「機会」の格差は減ってきていると思っています。ブロードバンドとインターネット技術の急速なる進歩は、誰でもが成功することのできるチャンスのある社会を生みだしつつあります。もちろん、ここでいう成功とは、有名大学を卒業して有名企業のサラリーマンになることを指すのではありません。むしろ組織に雇われて給料をもらうのではなくて、自立した生き方を指します。いま、誰でもがインターネット上に自分のお店を持つことができるようになりました。宣伝費を掛けなくても、魅力ある商品を揃えれば、不特定多数の顧客がグーグルや楽天、アマゾンドットコムからキーワード検索して、貴方の商品を見つけてくれます。これまで閉じられた流通制度の中で商売をしてきた人たちには、脅威です。親の跡継ぎとかお金をはたいて駅前にお店を構える必要がないのです。ブログに自分の日記を書いて(無料です)、その内容が魅力ある情報を含んでいれば、学歴やお金やコネがなくとも、あるいは地方に住んでいても、ブログを読んだ人たちの中から事業パートナーや顧客、さらには仲間が声を掛けてくれるでしょう。お店を持てる人と持てない人の、格差はなくなってきているのです。

勉強をするのにも、格差は無くなりつつあります。高い百科事典を買うお金がなくても、ネット上に無料で公開されているWIKIPEDIAで、あらゆる情報を調べることができます。WIKIPEDIAは誰でもが自由に編集していくネット上の百科事典であり、その内容は日々更新され、創刊5年でブリタニカの10倍の項目を持ちました。やはり無料の「はてな」に勉強で分からないことや人生の相談をすれば、たくさんの見ず知らずの人が、貴方の質問や悩みに答えてくれます。身近に高学歴の人がいなくても、お金を払って家庭教師を雇わなくても、むしろそれよりも遙かに正確で多くの答えが即座に返ってきます。私自身も阪大のフロンティア研究機構の機構長をしていたとき、FRe大学というeラーニングを始めました。阪大に入学することなく、いつでもどこでも私の授業を聞くことができるシステムです。インターネットは、情報やノウハウを公開しないことによって市場を独占してきた既得権益産業(大学を含みます)のビジネスを破綻させ、参加したい人が互いに情報の隠蔽をすることなく公開し、さらに共同運営を許すことによって、機会と格差をなくしてしまう革命、それがWEB2.0なのです。

私がWEB2.0と言う言葉を初めて知ったのは、梅田望夫氏の「WEB進化論」です[4]。梅田氏によれば、このようなインターネットによる情報の共有化は、グーグルの高速・高性能検索テクノロジーによって開かれたそうです。当然、これらのネットサービスを使いこなせる人とそうでない人との間には、一時的に格差(ディジタル・デバイド)が生まれますが、それはいずれ解消されます。しかし、その後には、「IT・ネットの高速道路の後には大渋滞が待っている」(羽生善治氏談[4])のだそうです。渋滞を抜け出せるかどうかは、能力ややる気のある人とそうでない人によって分極するのでしょう。ここにおいて、3σのうそ、シーソーの理論[1]が成り立ちます。

ところで、先月、私は日本人と日本人学生の「とりあえず」文化について述べ、研究室は「とりあえず」を禁止するとまで言いました。人生や国家の岐路(就職とか進学の決断や戦争への参入など)に立ったとき、「とりあえず」はないでしょうって言いました。

このメッセージを読んだ多くの学生達は、勘違いをしたようです。一切「とりあえず」はいけないのだと感じたようです。大事な決断を「とりあえず」するな、と言っただけで、ちょっとしたトライアルは冒険を「とりあえず」することは、むしろ歓迎です。先月のメッセージでも「とりあえず」の発言を禁止します、、、「とりあえずね」と書いたのですが、そのジョークは通じなかったようです。真意を誤解なく短い文章で伝えることは難しいものだと、改めて反省した次第です[5]。「とりあえず結婚します」はあり得ないが、「とりあえず付き合ってみます」は悪くない。「とりあえず就職します」はあり得ないが、「とりあえずインターンシップに行って経験を積みます」はいいですね。「大学に入ればとりあえず3つのサークルに入部して、それからゆっくり一つを選ぶ」って言うのも前向きで良いと思います。

「とりあえず」の英語訳が見つからないと先月に言いましたが、このとりあえずはtemporarily(仮に、一時的に、試みに)と訳すのがいいかもしれません。仮に、一時的に、試みに、経験としてやってみる、これは必要です。

先に述べたWIKIPEDIAは、まさに「とりあえず」の辞書です。日々、不特定多数の人たちがとりあえず、項目を増やし内容を更新して、皆が修正を加えていくことによって正確度を上げていきます[6]。グーグルの検索ソフトを活用すれば、溢れる「とりあえず」情報から確度の高い情報を拾い上げることができます。情報の隠蔽による既得権益とコネの社会から、情報の公開・共有と共同編集作業の社会に移ると、人々の生き方も変わっていくことでしょう。格差のない社会とは実は自由競争の社会であり、やり直しのきく社会です。その意味で「とりあえずの経験」を積みながら「とりあえずではない夢」を追いかけていくのが、これからの人たちの生き方なのかもしれません。SK

追記: 最近、公用語が英語の河田研に長く在籍していても、英語が話せない学生達がいることに気づきました。正確には、英語が話せないのではなく子供のようなブロークンな英語を話す、と言うべきでしょう。仲間内では、ブロークン英語を話していても皆がその人の独特の英語を理解してくれます。もし通じなければいろんな表現で言い直して修正すればいいでしょう。ところが、大勢の人の前で限られた時間に(あるいは瞬間に)「大人」として意見を述べたり説明することを求められたときには、このような人たちは自分のメッセージを相手に伝えることができず、大失敗をすることになります。うまく通じないと余計に緊張してしまい、自分は上がり症だと決めてしまいます。街角で事故や犯罪を目撃し、テレビのレポーターに突然説明を求められたとき、アメリカでは子供でも堂々と話しますが、日本の高校生や大人は、しっかりと話をすることができません。人前で正しい日本語、英語で話ができないとか、上がり症であると思う人は、「とりあえず」言葉を口にするのを止めて、しかし黙るのではなく、丁寧にゆっくり集中して話(英語に限りません)をする習慣をつけてみてはどうでしょうか。パソコンや携帯が好きな人は、とくに要注意です。キーボードを使ってレポートや論文を書くときは、「とりあえず」あれこれキーを打ち込みながら、同時に間違いをデリート(バックスペース)キーで消していきます。画面では先端の文字を示すカーソルが、忙しく左右に振動して少しずつ前に進みます。これでは、大事な講演のストーリーをじっくりと考えることができません。こんな人は、原稿用紙にあるいは大きな白い紙に、万年筆(一度書いたら消せない)で文章を書いてみて下さい。「とりあえず」の論文や発表ではなく、吟味した勝負の論文・プレゼンができるようになるはずです。

[1]    河田 聡、2006年1月のメッセージ
[2]    このような稚拙な理論を聞くと、およそ統計学とは事実をねじ曲げるための学問かと疑いたくなります。中高一貫の私学に行くと東大に入りやすいのではなく、東大にはいることを目指す人が中高一貫の私学に行くのです。だから東大において、中高一貫校出身者の比率が高いのです。日本はアメリカやイギリスとは全く異なり、出身高校や親の年収や地位や出身地の違いによって、入学に便宜が図られることはありません。受験制度の良い悪いは別として、完璧なる平等社会だと言えます。入試問題は毎年広く公開されていますし、塾に通わなくとも図書館に行けば誰でも無料で様々な参考書を読むことができます。大学では、収入が少ない両親の家庭の子息には授業料が免除され、あるいは奨学金が与えられます。
[3]    佐藤俊樹、「不平等社会日本ーさよなら総中流」、中公新書、2000年6月。
[4]    梅田望夫「WEB進化論」、ちくま新書、2006年2月。
[5]    真意を、短い言葉で誤解なく伝えることは難しいものです。学生向けに「初めてのプレゼンテーション」というメッセージを以前(2005年2月のメッセージ)に書いたのですが、「パソコンを使わずに白くて大きな紙一杯を使ってストーリーを考えなさいと言ったら」、学生諸君は白い大きな紙に縦横に線を引いてパソコンの画面のページに分割していました。ストーリーを作るときにパソコンの画面の広がりの制約から開放させようと思って、「大きな白い紙に」と言ったのですが、説明が不足していたようです。プレゼンテーションは、できればパソコン無しで、聴衆と目を見合わせてスピーチするのがいいのです。言葉だけではどうしても説明できないときにだけ、あるいはスピーチの補助に、時々スライドを示すのがいい講演です。ところが、学生達はストーリー作りではなくパワーポイント作りに凝って時間を掛けてしまうのです。このやり方を否定したのに、皆には全く通じておらず、白い紙でパワーポイントの画面作りをしようとしていました。自分の説明のまずさに反省した次第です。
[6]    私のメッセージも、最初は誤字脱字だらけで、少しずつ改訂されています。4年前にメッセージを書き始めたときも、まさにとりあえずでした。出版社の検閲・校正のない文章が、書き手の側で自由に発信することだけが目的でしたが、いまや一ヶ月に1万3千回の訪問を受けるWEBになっています。

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