2007年1月のメッセージ

お正月のメッセージ:サプライズ

年末早くに出した賀状が、最近は元旦に届かないことが多くなってきています。宅急便なら一晩で届くし、日時指定すらできるのに、郵便局で買った年賀葉書を使って、郵便番号を7つの枠の中に丁寧に書いて、わざわざ郵便局にまで持って行っても、元旦の朝に届きません。日本の郵便局はほんとに極楽な商売で、同じ葉書を何百枚送っても割引はなく、遅配は年々酷くなる一方です。国営(公社とは呼んでるけれども)の完全独占のビジネスだから、怠慢になるでしょうか。私が1年間に出す葉書の99%はいまや年賀状であり、一日で大もうけできる簡単ビジネスなのに、平気で毎日少しずつ配達する郵便局には、がっかりです。郵政民営化が賛成でも反対でも結局自民党という話と同じ構図で、国民を舐めきっていますね。

こんな風にさんざん文句を言いつつも、私は相変わらず年賀状を親しい人に送ります。ネット時代とはいえ、メールよりも葉書の年賀状がお正月の朝に自宅の郵便箱に届く方が、幸せな気分にさせてくれると思います。年の始めに懐かしい友を想い出すのはいいものです。毎日会っている人でも、お正月の朝に改まって年賀状を貰うのは嬉しいものです。私の年賀状は、30年近くまったく同じパターンです。お年玉付き年賀葉書に横書きで300字のメッセージとグリーティングを書きます。上に1/4ほど余白を設けて、そこに個別のメッセージを書きます。喪中の人にもお送りできるように「おめでとう」という言葉は使いません。外国にもこれを年始のグリーティングカードとして送っています。この年一回の300字の年賀状メッセージが、月一回の3、000字のHPの「今月のメッセージ」のきっかけになりました。印刷はいつも同じ印刷業者に頼み、文字の色はスペシャルオーダーのすみれ色です。

さて、今年いただいた年賀状の一つに、「去年の先生との対面授業は面白かったです。先生に教えて頂いた「サプライズ」を心がけていきたいと思っています」との学生からのメッセージがありました。どうやら私は「サプライズ」という言葉をよく使うらしくて、年末のある審査の場でも応募者に「その研究はどこに「サプライズ」があるのですか?」と尋ねるそうです。そう、科学とは、「サプライズ」を探すことです。「最高の技術と理論を駆使して、ひたすら努力して、理に適う研究結果が出ました」なんて言われると、申し訳ないですが私はがっかりします。最低の技術でも稚拙な理論でも、努力せずとも偶然であっても、「予想外」の「とんでもない」研究結果が、私は好きです。科学とは事実確認ではなく夢想の世界であり、科学者とは常識を否定しサプライズを求める人種だと思います。

今年もある雑誌の年始のエッセイに、「教科書を否定するような科学をつくりたい」と書きました [1]。「量子力学は間違っている、アインシュタインは神様はサイコロを振らないと言っている」ともあちこちに書きました[2]。教師は教科書に書いてあることを教え、科学者は教科書に書いてあることを否定します。「うっそ~」が科学の醍醐味です。その意味から、最近世の中をお騒がせしている科学者によるデータ捏造事件も、私には結構理解できることなんです。データ捏造は、サプライズを世に与えたい科学者のサービス精神が過剰に出てしまった結果だと言えます。世の中では「嘘つき」として犯罪者扱いですが、その無謀さは科学者としてはあり得ることです。科学は事実であって真実であると思うことは間違っています。科学とは夢想の世界であり、科学者はサプライズを探して彷徨い歩くのです。むしろ何のサプライズもない当たり前の成果を論文に書く「似非科学者」の方が、捏造された科学者なのです[3]。サプライズがない成果は、私にとって科学ではないのです。

「やったあ、すご~い」「信じられない」と皆が歓声を上げる「サプライズ」を世の中に提供したいと考えるのが、科学者の本能だと想います。そんなことを考えていたら、年末に「競輪グランプリ」に招待されました。京王多摩川の京王閣競輪場で、周りの人たちに競輪のルール、ラインとか先頭誘導員とか3連単とかの車券の買い方とかを教えていただきながら、少しずつ掛け金を増やしていくうちに、儲けたいという気持ちよりも周りの人たちを驚かせたいという科学者の本能が目を覚まし、気が付けば、初めて競輪を知った私が周り人たちに必勝のレクチャーを始めていました。「今日は若手はダメ。40歳代の高齢の選手が勝つよ。年末は子供のいる生活のかかっている人が賞金が欲しいはず」とか「競輪の新聞に顔写真の載っている選手は、今日は勝たない」などなど。私の理論はことごとくよく当たりました。やっぱり科学はサプライズ、捏造ぎりぎりだなと改めて納得した次第です.

今年も一発大当たりのサプライズを夢見て、科学と楽しみたいと想います。SK

[1] 河田 聡「ガリレオの中指」、オプトロニクス、p.120、2007年1月号
[3] データ捏造の疑惑のある科学者達を、いま日本の大学では本人が否定するままに懲戒免職などの処分で、解雇しようとしていますが、私は教授の職を奪うかどうかは、同僚の教授達やマスコミが決めるのではなく、その先生の授業を受け研究指導を受けている学生達が決めるべきだと思います。入試の不正や研究費の不正使用、勤務のサボタージュ(研究や教育をせずに会議ばかりをやることも含む)などは、懲戒免職が妥当でしょうが、科学データの捏造(少なくとも本人が否定している限りは)は、学会での処分があっても大学を免職されるべきことではないと思います。異端審問所で有罪となり幽閉されたガリレオ・ガリレイや死後35年認められなかった遺伝法則を発表したメンデルを思い出します。大学の権力者は、科学を本当に理解しているのでしょうか。

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