2011年5月のメッセージ

告白


私はビンラディンに、なぜ9.11の事件を起こしたのかの理由を訊いてみたかったと思っています。殺されてしまったので、本当に彼の犯罪なのかどうかすら確認できなくなってしまいましたが、世界貿易センタービルに旅客機を2機ぶつけて日本人24人を含む3千人の罪なき人たちを殺した、その理由を「告白」して欲しかったと思います。

ウサマ・ビンラディンが殺害されたそうです。オバマ大統領がものすごくかっこよくテレビに登場し、「Justice has been done」と言いました。「Justice」は新聞テレビでは、そして私たちも「正義」と訳します。しかし、この言葉には「審判、処罰」という意味があり、ここではその意味で使われています。「審判は下された」「処罰がなされた」が正しい訳でしょう。文章が受動態です。私によってではなく、神によってというつもりなのでしょうか。ブッシュ大統領は、かつてビンラディンについて「I want justice」と語っていました。「正義が欲しい」ではなく、「処刑したい」という意味だったのでしょう。オバマさんは平然と「killed」と言いました。
パキスタンで、
operation(軍事作戦)によってkill(殺害)したのだという説明でした。
ビンラディン
は当時のアフガニスタンでは、ソ連の侵略軍と闘った革命のヒーローであっただろうと思います。その後、アメリカの軍が湾岸戦争のあとに彼の故郷であるサウジアラビアにそのまま居座ったことから、アメリカとの闘いを始めたと言われています。世界で唯一の超大国となったアメリカの侵略と闘う彼の戦術は、自爆テロでした。罪のない3千の人命が奪われました。その動機と信念は「怒り」から来るのか、宗教なのか愛国心なのか、「正義」心なのか「狂っていた」のか、彼の告白を聞きたかったけれどもう叶いません。

アメリカの「正義」は、オバマさんのスピーチを聞いているとよく分かります。彼の「正義(justice)」とは、「審判(justice)」と言うよりも殺害による「処罰(justice)」でした。
「報復(justice)」
とかいう言葉の方がしっくりします。3千人の命を奪ったテロに対する仕返しの戦争で、何万人、何十万人という罪のない人たちが米軍・多国籍軍の攻撃の巻き添えで亡くなりました。米軍兵士も大勢が亡くなりました。

アメリカ人がよく言う「リメンバー・パールハーバー」という言葉も、アメリカの「正義(Justice)」心の象徴かもしれません。1941年12月8日未明、日本海軍によってアメリカ領ハワイ島の米海軍の軍港が襲撃されて、いわゆる太平洋戦争が始まりました。米国にとっては、この奇襲への「正義(審判、処罰、報復)
の戦争であったのだろうと思います。しつこく抵抗する日本に対して、市民の住む市街地まで無差別攻撃し、最後は広島の街の真ん中に原爆を落とすことによって一般市民を大量殺害し、そして戦争は終わりました。いやそうではない、さらに長崎にも原爆を落として罪なき一般市民をさらに大量殺害し、そして攻撃は終わりました。文字通りの大量虐殺(ホロコースト)です。

どうして、私たちの国は外国人の「正義」によって、侵攻を受けて総攻撃されて破壊されて、大量虐殺されなければならないのか、現地の人たちの気持ちはとても複雑です。現地とはイラクであり、アフガンであり、ベトナムであり、そして当時の日本かもしれません。パールハーバーを奇襲されたハワイもそうです。もともとカメハメハ大王の美しくて平和なハワイ王国が、米国によって植民地にされ、島の象徴であった美しい真珠の湾は米軍によって奪われました。コンクリートで固められて、米海軍の軍港になりました。「私たちの美しい国を奪い、美しい港を戦争基地にしたことを忘れないぞ!」、これが、
私の理解できる正義、
リメンバー・パールハーバーの意味です。

見る側によって、見える世界は異なります。関わる立場によって、「正義」は異なります。以前に今月のメッセージでも書きましたが、日本の自然の象徴である田園風景は、先住民である野生動物にとっては、人間のエゴによる自然破壊であり、美しい風景を水浸しにする最悪の犯罪行為でした。美しい自然とは、見る人とその立場によって異なります。

今月のメッセージは、湊かなえさんの小説「告白」を意識して、書いています。たまたまこの本を読み終わった日に、ビンラディン殺害事件が起きました。湊さんはこの小説で、人を殺害することの正義と、それに対する審判・処罰について、そしてその報復の連鎖について、複数の登場人物にそれぞれ淡々とモノローグの形で語らせます。小説には終わりはなく、しかしフラストレーションが溜まるわけではなく、読後に少しだけ自分が賢くなった気分をくれました。私はストーリーを先読みできませんでした。それは、それぞれの異なる登場人物の気持ち・立場を共有する心の準備が、私にになかったからかもしれません。それぞれの人の「告白」が、正直にそれぞれの「正義」を語っているかどうかは分かりません。それでも、正義と報復について考えさせられる小説でした。

「告白」は本屋大賞を受賞しています。さすが「本屋大賞」です。芥川賞よりも直木賞よりも、やっぱり「本屋大賞」です。これは、学術論文にもいえることです。ピアレビュー(同業権威者が審査する仕組み)を善とする学会誌は、カスタマーレビューやエディターレビュー(ネーチャー誌とサイエンス誌)の「正義」「審判」には勝てません。

というのが、今月の私の「告白」。SK

Copyright@2011 河田 聡 All rights reserved

追記:湊かなえの「告白」で学ぶことは、立場によってjustice(正義、審判)は異なるのだ、ということです。
事前の相談も議論もなく突然に思いつき的に
浜岡原発の全面停止を要請したカンさんとカイエダさんのjusticeは、オバマさんによるビンラディンの殺害と同じように、当事者の声(justice)を全く聞かずの「英断」(新聞によれば)でした。浜岡原発の突然の停止の決断に対して、東北の人は、「今大変なのは福島なのに、この人達はいつの
どこの
災害の議論しているのか」と感じるでしょう。当事者である中部電力やその株主、さらには地元の住民は、事前の相談も議論も一切なくてさぞかし戸惑っていることでしょう。CO2削減を訴えていた政府がいきなり火力発電の増強をすることに対するjusticeは、全くありません。原発停止、大いに結構です。しかしその代わりに火力発電を増やしてはいけません。そして浜岡原発の停止は、中部地方の市民が「計画停電」を受け入れる覚悟とセットで行うことです。その覚悟がなければ、justiceではなく単に無責任・身勝手・気まぐれというものでしょう。

追記2:「告白」と言えば、なんと言っても焼き肉チェーン店の社長さんの謝罪会見ですよね。彼の「告白」には、彼の立場からの正義があります。「生食用の肉など、どこにもない」、「トリミングは流通会社がやっている」。そりゃそうでしょう、病原大腸菌は現場に持ち込む前に流通の段階で削除しておくべきだと、私も思います。現場で表面だけを切り取れば安全だなんて、なんて恐ろしい発想でしょう。「現場には、切り取った表面についている病原大腸菌が、そこら中にうようよします」と言っているのと同じです。

私からすれば、牛の肉を「生」で食う人の方がいることが不思議です。カラスじゃああるまいし、牛の死骸を生で食うなんて命がけでやるべき行為です。ましてや
安い生肉なら、当然安全を疑ってかかって然るべきです。自己管理と危機管理能力が欠如している上に、他人に責任を押しつけているようでは、この世の中は生きていけません。

それにしても、今回の事件は非常に怪しい。このチェーン店だけから、しかも特定の期間だけに死者が出るのはおかしい、と感じるのが普通の感覚です。毒入り餃子事件を思い出します。この社長と会社の成功を妬んで誰かが意図的に起こした犯罪の可能性を感じます。社長が若くて成功したからいけないのでしょうか、話し方が大げさで不自然だからいけないのでしょうか、
安い焼き肉という商売がいけないのでしょうか。
マスコミは、これらの理由でもって彼を「処罰(justice)」しているように見えます。2年間ひたすらお金を使わずお金を貯めて(
コンビニにも一度も行かなかったとか)、苦労をして起業をして、そして今では雇用を創出し社員に給料を払い、国に税金を払い、消費者に安い焼き肉を提供してきたこの社長にも、彼なりの正義はあってもいいと思います。

先月のメッセージから、「社長さん、失敗してもいいんだよ」。
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