2012年2月のメッセージ

裏声で歌へ君が代

という丸山眞男さんの本を私が読んだのはその発刊後すぐのことでしたから、1982年だと思います。この小説の舞台の当時の台湾は蒋介石の長男の蒋経国が総統の地位を世襲したばかりであり、台湾の人にとって自由のない国でした。当時は韓国も全斗煥が大統領の時代であり、国家機関によって日本で拉致された金大中さんに死刑が宣告された頃です。一方の日本はというと、高度成長の真っ最中であり「Japan as Number One」という本が出版され、皆が「いけいけどんどん」で自由を謳歌していました。韓国も台湾も経済的には発展しつつあったものの、観光旅行を行ってもスパイ容疑で逮捕され死刑宣告されるのではないかという怖さを、私達は持っていました。今の北朝鮮に対する日本人の恐怖心と似ています。もちろん、それらの国から日本やアメリカに来ている人たちは今と変わらなく、恐怖はあくまでも国家体制あるいは政治体制に対するものでした。アメリカに行くのにお金が無くて、伊丹発ソウル経由でアメリカに行ったことがありました。トランジットの時間に日本人客を大韓航空が買い物ツアーに連れ出したものの、バスガイドに「バスから街の写真を撮ってはいけません、撮ると逮捕されます」と言われてぞっとしたこともありました。

今では、私達はたった30年前にそんな時代があったことすらすっかり忘れてしまい、台湾・韓国と日本との交流はすっかり日常的にものになってしました。私も国内出張と同じペースで両国を訪れますし、地域内での通貨統合や自由経済圏を多くの人が求めるようになりました。

当時の韓国における反日教育や戦時中の日本の反米教育は、何も知らない子供達に他人を憎むことを教えて、人の心を貧しくし争いを好む人たちを育ててしまいます。私は、いかなる偏見も持たない人が新しい科学や新しい社会を創ると信じていますから、無垢な子供達に人を憎むことを教える教育は嫌いです。子供達は何事も無理矢理に強制されることなく、自分自身で見て感じて、自由に学んでいってほしいと願います。

今や、台湾も韓国も全くの様変わりをして、とても自由で平和です。だから経済的にも急成長を遂げています。まさに、「裏声で歌へ君が代」が出版された頃の「いけいけどんどん」のニッポンを思い出します。中国にもこのように民主化が進んでくれることを望みますし、北朝鮮もそう遠からず変わることを私は信じています。
 
かたや、いまのJapan。一体どうなってしまったのでしょうか。学校の先生に「君が代を起立斉唱せよ」と職務命令し、「言うことを聞かなければ懲戒免職・解雇をする」と脅すタレント弁護士出身の政治屋が大衆に大人気です。ある府立の高校の校長先生は先生方の口の動きをチェックして、声を出して歌っていないクチパク先生を教育委員会に報告したそうです。大阪市長は「当然でしょう。それ以外にどうやって確認するのか、批判する人に聞きたい」と発言したと、新聞に載っていました。この幼い発想が今の日本の大衆に受けるのです。

私は、大相撲では君が代を「起立斉唱」します。日の丸の旗がオリンピックで掲揚されるのを、厳粛に嬉しく見つめます。だけど申し訳ないけれど、人に強制されたら絶対歌いません。人に強制されては、決して厳粛な気持ちにはなりません。国家権力のいいなりにならないのは、ガリレオガリレイじゃあないけれど科学者の存在意義のようなものです。私は海外で働いていたこともあり、今も科学の世界で国際競争の中に生きていますから、一般の人よりも愛国心が強いと思います。毎年何人もの若者を育てている、いわゆる教育者の端くれでもあります。その私にとって教育とは、「偏見を持たずに権力に強制されることなく、自分で学ぶ力を身につけること」を次の世代の人たちに教えることです。福澤諭吉の言う「独立自尊」です。権力が強制をしたとき、これに従う姿を生徒達に見せることは教育者にとっては耐え難い苦渋であろうと思います。「公務員だから従うのは当然です」「決まったことには従うことを教えるのが教育者です」という前に、そのような自尊と教養に欠けた職務命令を出すことに恥る心を持ってほしいですね。

今年、中公新書から「高校紛争 - 1969-1970」という本が出版されました。いわゆる大学紛争が複数年に亘って大学生によって繰り広げられたのに対して、高校紛争は69年の9月から70年の3月の僅か半年に集中しました。その時の高校3年生が卒業(あるいは退学)したら、紛争は急速に収束してしまいました。私はまさにその時の高校3年生でした。私の出身校もこの本に何度か登場します。69年9月17日、11月14日、12月6日の3回バリケート封鎖し、11月の封鎖解除には機動隊が導入されています。多くの高校では、活動家ではなく全く普通の生徒達が大勢、封鎖やデモやストライキなどに参加しました。

一体、高校生達は何に怒っていたのでしょう。この本は、忘れていたことをたくさん思い出させてくれました。当時は米軍が日本から原子力空母や原子力潜水艦でベトナムを攻撃に向かっていた頃ですから、もちろん、「ベトナム戦争反対(ベトナムに平和を!)」です。そして「安保反対」「吉田首相国葬反対」など政治的なテーマもありましたが(政治的に実に中立だと思いますが、政権とは反対の意見)、この本が私に思い出させてくれたのは「大阪府教委通達・反対」でした。大阪府教委通達とは文部省見解に基づいたものであり、文部省通達とは「高校生の政治活動禁止」でした。政治活動とは「安保反対」や「ベトナム戦争反対」の勉強会(集会)や刷り物や掲示を含みます。勉強や議論をしたり意見を発信してはいけないというわけです。60年に結ばれた日米安全保障条約が70年に切れるので、それを継続するか改定するか廃止するべきかで世の中は大激論なのに、高校生は勉強も発言もしてはいけないという通達です。一方的に強制されれば、純粋な高校生達は反発します。君が代を歌えと強制されれば、高校生でなくとも自尊心のある教養人は意地でも歌わないのです。「高校紛争 - 1969-1970」でも書かれていますが、教育委員会の通達は当時の高校生に対して逆効果だったと思います。ハシモト君が今はしゃいでやっている通達や指示もそれとまるで同じレベルなんですが、マスコミも社会も今では自尊心とか教養を失ってしまったので、ハシモトゲームが成り立つのです。

このような国家弾圧的な通達への高校生の反発は、ちょっと楽しい新たな闘争を生み出しました。「生徒心得・撤廃」とか「頭髪の自由化」「制服制帽の自由化」「男女交際の自由化」「下校時の喫茶店の出入りの自由」「下校後と週末の外出禁止反対」などです。今の時代だとまるで当たり前のことが、当時は「表現の自由」「刊行物の検閲廃止」「集会の自由」と同じレベルで要求事項に上がったのです。私の高校でも紛争化してから、ある先生が門で登校してくる男子生徒が制帽を被っているかどうかのチェック(全品検査)をして、余計反発が強まったことを思い出します。

1969年9月から70年3月までの高校紛争は、その時の高校3年生を非常に苦しめました。大学受験直前の半年間に受験勉強をせずに、毎日毎日自分たちは何をするべきか議論し悩んだのです。そのことがそれぞれの人生にどんな影響を与えどんな意味があったのかは、人によって異なるでしょう。42年経っても、総括できません。そして、この年の人たちはいま還暦を迎えました。42年ぶりの同窓会が各地で開かれてます。私は別用があり出席できませんでした。その代わりに集まった仲間の集まりで、この本が出版されたことを友人から教えてもらいました。

文藝春秋3月号に『「日本の自殺」再考』という記事が掲載されました。話は「日本没落の予感」「ローマ帝国滅亡との類似」「危機は日本人の内部にある」「現代文明がもたらす幼稚化」「デマによる集団ヒステリー」と続きます。まさに当を得た論文ですが、驚くべきはこれが1975年に掲載された記事の再録であると言うことです。高校紛争が沈静化し日本が安定してきた1975年に、今のハシモト危機を既に予言していたのです。ハシモト的脅しによる通達やチェックは大阪府のみならず、いま大学内でも日常化しています。教授全員に「不正をしません」という宣誓書を書かせたり、不正に関するセミナーへの出席を強制したり、まるで自尊心を逆なでする幼い人たちからのメールが飛び交います。40年前の高校生を管理する「生徒心得」を思い出しました。

声を出して国歌を歌えと職務命令が来れば私は、裏声で歌いましょう、君が代。

追記:ここまでで十分お分かりでしょうが、私達の「科学者維新塾」はハシモト君の維新の会とは何の関係もありません。私達の塾は4年前から活動しており、「国を支えて国に頼らず」の心で、権力と無関係なところから未来の日本を救う人たちを育てようとする活動です。

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