2012年12月のメッセージ

Nature誌の正しい読み方

物理系、工学系の人は、NatureとかScienceといった雑誌はほとんど読まれないと思います。しかし、読み出すと結構やみつきになります。面白いのです。読むのは学術論文(ほとんどが生物系です)ではなく、EditorialsとかNewsとかCommentsとかです。

例えばNature誌の10月18日号では「Science on the Move」と題して、世界的規模での科学者の移動について詳しい統計とコメントが載っています。これがなかなか面白い。外国出身の科学者を受け入れる国のトップはスイスだそうです。スイスでは科学者のうちなんと57%は外国人だそうです。カナダとオーストラリアでも科学者のほぼ半数が外国出身。ほかの欧米の多くの国でも、数十%の科学者が外国出身です。一方、日本では海外出身の科学者は僅か3%。驚くほど低いのです。インドは1%です [1] 。ではインドが国際化していないかというとそうではありません。国外で働く科学者の比率はインド人が第1位の40%です。そのあとにスイス人、オランダ人とヨーロッパ勢が続きます。最下位は、こちらもまた日本人です。この記事は科学の世界では世界中の人が移動しているということがテーマですが、日本のこの閉鎖性については言及されていません。日本の大学の規則と規制による不自由さ(これは私の意訳、原文はbureaucracyです )によって、海外出身者は日本の大学で馴染むことは難しく、日本に来てもすぐに帰ると書かれているぐらいです [2] 。中国はついては、いつものように非常に詳しく議論されています。近い将来に中国は科学において最も重要な国のひとつになるが、中国に移住したい人は増えないだろう、などなど。世界的に最もよく引用される科学者の1/8は発展途上国出身の科学者だけれど、そのうちの8割は先進国(主にアメリカ)に移住しているとの統計にも「なるほど」と思います。

Natureが出す姉妹紙のNature Materialsの11月号には、Impact Factor(学術誌に掲載された論文が2年以内に学術誌に引用される平均件数)やCitation(学術誌に掲載された論文がその後の学術誌によって引用される総数)に関する記事が載っています。これらは、ITが一般化された昨今には論文の質を定量する数値として正しくない、との主張です。Peer review(同じ分野の研究者による学術誌への掲載審査)という査読方法についても、疑問が呈されています。これらの数値は同じ分野(コミュニティー)の研究者(Peers)が認める(引用する)論文が高いスコアを得ますが、それは身内(コミュニティー内)の評価でしかない、と言うのです。社会の評価が欠けているのではないか、というわけです。同じ分野の専門家による論文引用は2年程度かかるが、インパクトのある論文はweb上でリアルタイムで大騒ぎになります。論文の電子化とオープン化は、身内による数値評価を過去のものにしてしまったというわけです。新しい発見や発明はWeb 2.0においては瞬間に分野を超えて世界に伝わり、忘れられていた過去の仕事ですら、突然誰かが見いだすとたちまち脚光を浴びるのです。

英国物理学会(Institute of Physics)の機関誌の「Physics World」の12月号でも、Impact Factorはもはや正しい数値を与えない、と言います。例えば「Satoshi Kawata Cellular pathways nano letters」(著者名と論文タイトルと雑誌名です)とgoogleで検索してみると、私が昨年発表した論文に対する記事やコメントが何万件も出てきます。この数字は、論文そのものの他にメデイアの報道記事やそれを紹介したりコメントするブログやツイッターなどのすべてのネット上での件数を数えたものなので、同じ分野の研究者だけの論文での引用件数よりも正しいimpact facotrを示しているかもしれません。

そのPhysics Worldの11月号では、掲載を拒否(リジェクト)されて別の雑誌に投稿して掲載(アクセプト)された論文の方が、最初の雑誌に直接採択された論文より引用件数が高いという統計を示します。932の雑誌に投稿された20万の論文の著者へのアンケート結果(8万件の回答)の集計です。リジェクトされた結果、査読者の指摘にしたがって論文を書き直したことでよりインパクトのある論文になったからだろうとか、時間を掛けて採択までの間に学会発表で宣伝したからだろうとか、様々な解釈が示されています。この記事の結論は「Peer review(同じ分野の科学者による査読)システムも悪くない」でした。

アメリカの物理学会の機関誌「Physics Today」にも興味深い記事が多くあります。少し古くなりますが、4月号のCommentaryの記事のひとつは「Too Many Authors, Too Few Creators」でした。和訳すると、「著者はたくさんいるけど、創造的な人はいない」。

それは大問題!

記事によれば、共著者がいない単独執筆者の論文が最近急速に減っているとか。例えばPNAS(米国科学アカデミー紀要;Nature, Scienceに匹敵する総合学術誌で人文系も含まれる)は、1965年1月1日号において単一著者の論文が32編あったのに45年後の2011年1月1日号では0編だったそうです。逆に4人以上の共著者からなる論文は14編から74編に激増しています。技術系の学術誌であるApplied Optiscも単一著者の論文が58編から0編に激減し、4人以上の著者は5編から72編と激増しています。NatureやScienceには解説論文があるので単一著者の論文はまだ存在していますが、4人以上の著者からなる論文はそれぞれ3編から49編、4編から39編へと増えています。

「これではいけない!」

と、私ではなく記事の執筆者が言います。簡単な測定をしただけの人や、測定データを整理しただけの人、あるいは装置を動かしただけの人が、共著者になっている。彼等は、この論文に書かれる科学の創造者ではない。あるいは、有名な先生と共著者にすると論文が採択されやすいと考えて、共著者に加えている。著者とはその研究論文におけるCreator(創造者;発明者、発見者)に限られるはずだ、と言うわけです。

同僚がお互いにそれぞれの論文の共著者になって、それぞれの論文の合計数を増やしている、とも指摘しています。これは狡い!

有名な物理学者のFermiは、このようなやり方を非常に嫌ったそうです。彼に触発された著者の最後の質問は「教授や主任研究員は、単独著者として論文を書いたことがありますか?」でした。ちなみに私は共同研究が得意でないということもあり、私が主導した研究論文はいつも非常に少人数の共著者しかいません。今年も単独で2編の論文を書きました。またここ2年ほどの間に日本とアメリカの学会で単独で原著論文(招待論文でない)を2件、口頭発表をしました。

「Nature」誌の10月18日号では最近の論文のトレンドとして、共著者に複数の国の出身の人が入っていることを紹介しています。そのことに批判的な記事ではありません [3] 。しかし、共同研究とか国際化が科学の「創造」に必要なことなのかどうか私には疑問があります。もちろん分野を超えた交流や国際的な環境は科学者の頭脳によい刺激を与えます。しかし、論文の共著者にそれが出てくるのが必要なことではなく、結果だと思うのです。私はむしろ他の科学者との交流を絶って、ひとり山に籠もって密かにアイデアを育むことが好きです。

NatureやScienceあるいはPhysics TodayやPhysics Worldのこれらの記事は単に面白いだけではなく、そこから読者が新しい知識や発見を得ることができます。新聞についても同じだと思います。先月のこのメッセージで紹介した日経新聞の有料電子版には、盛田隆二さんの小説の他にも、経済人のコラムや印刷本誌に載らない様々な記事が満載です。有料電子版でなくても、新聞には他社の紙面には載っていない独自の取材記事やコラム記事が多く載っています。グーグルやヤフーなどのニュースランキングだけからは決して得られることのないコンテンツです。

ただし、元ソーリの大学不正入学や現ナマ授受などを赤裸々に告白する今月の「私の履歴書」は、ソーリ大臣の品格と自覚の無さを知るだけの意味しかありませんでしたが、、、。

日本の学術誌においても、原著論文と解説論だけではなく上に述べてきたような記事、統計データから分析された結果に対する意見、その反論等、Nature誌やPhysics Today誌のような記事が載っていればいいのになあ、と思います。それが英訳されて海外の雑誌に転載されれば、さらにすばらしいと思います。私が関わる日本の学会は、少しずつだけれどこの方向に踏み出しました。Nature, Science, Physics Today, Physics Worldなどが持つ、本来のジャーナルの文化に近づくことを期待しています。SK

[1] この統計には残念ながら、中国や韓国などは含まれていません。
[2] 日本に加えて、英国とイタリアも役人根性の面倒な国に定義されています。 
[3] 山中伸弥さんのノーベル賞受賞に対して、はしゃぎすぎるノダ首相に対して、皮肉っぽい記載はあります。ノーベル賞は山中さんに授けられたのであって、日本の国に与えたのではありませんから。

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