2013年9月のメッセージ

グローバル化とキャリア教育


先日、ある会合で高校の先生のお話を聞きました。高校も文科省からグローバル化とキャリア教育を求められているとか。大学と同じですね。前回に「マイナンバー」とか「ノンステップ・バス」は間違った英語だという話を書きましたが、日本の役人やまるで役人のごとき教育者が言う「グローバル化」と「キャリア」も、勘違いの英語です。

「日本もグローバル化しないといけない」と言う時の「グローバル化」は、比較的に思慮の浅い人の言葉です。グローバル化(Globalization)は国際化(Internationalization)とは、全く反対の考えです。「国際化」は文字通り異なる国の文化や人種、言葉に接して互いの違いを理解すること、すなわち多様性(Diversity)を認め合うことですが、「グローバリゼーション」とは地球は一つという意味です。世界中にコカコーラを売って世界の人が同じ味のコーラを飲むのが「グローバリゼーション」、マクドナルドもケンタッキーフライドチキンもスターバックスも然りです。一つの商品、一つの文化、 一つの言葉が地球を支配することが「グローバル化」です。日本企業も電機製品や自動車産業においてグローバル化に成功しました。日本の国でしか売れない携帯電話はガラパゴス携帯と呼ばれ、グローバル化に乗り遅れた典型例だと言えます。

さて、高校のグローバル化とは高校生が英語を話せることのようです。すなわち英語教育です。学生に英語圏への海外留学を進めたり英語が母国語の英語教師を日本に集めることがグローバル化教育です。たしかに世界中が英語化されれば言葉のグローバル化が実現します。しかしこれは英語を母国語とするアメリカによる、言葉のグローバル化です。日本の国がグローバル化を主張するのなら、日本語を世界で通じるようにすることでなければなりません。グローバル化とは植民地化(Colonization)と同意です。植民地化の第一歩は言語による支配です。スペインは中南米をスペイン語化しました。イギリスもアメリカ、イラン、パキスタン、インド、マレーシア、香港、オーストラリア、ニュージーランドを植民地化し、それらの地域で英語化統一を行いました。アメリカはスペイン語化されていたフィリピンを植民地化して英語を公用語とさせました。ハワイ王国も占領し、彼らの言葉を奪い英語化しました(正確にはその前にイギリスの侵略があります)。日本はこれらの国と比べると遙かに穏やかでしたが、朝鮮、台湾などで日本語を教えました。大東亜共栄圏は当時の日本のグローバリゼーションだったのです。

日本の文科省や教育機関、教育家が再び日本のグローバル化を叫ぶなら、アジアそして世界に日本語が通じるような政策をとることだと思います。日本語をグローバル化しそして日本文化をグローバル化します。日本のグローバル化とは留学生に日本語を教えて、日本語で授業をすることです。しかし、今の日本の国や教育家が行っているグローバル化とは、英語による日本の被植民地化政策なのです。

グローバリゼーションと異なり、国際化とはそれぞれの違いを認めあうことです。言語の世界ではバイリンガル化(2言語化)やマルチリンガル化(多言語化)が、国際化です。スイスやシンガポールは公用語は4言語ですから、これらの国は国際化していると言えます。オランダやフィンランドは小さな国(人口が)ですからその国の中だけで経済を自立することは難しく、隣国あるいは世界と積極的に交流してきました。その結果、人々は母国語だけではなく複数の国の言葉を使いこなします。まさに「国際人」国家です。アメリカ人は英語しかしゃべれないので、国際人とは言えません。小さな国の人たちの方が国際的です。

国際化とは多様性です。グローバリゼーションとは非多様性です。そして今、国が日本の高校や大学に求めていることは、非多様性なのです。これは間違っています。日本の教育界(戦前も戦後も、国も現場も)が最も苦手とすることは、多様性を認めることです。

以前、阪大の総長(現)と議論をしました。二人とも大学の国際化に熱心ですが、彼は留学生はしっかり日本語を学ぶべきだと言われ、私は大学の事務がしっかり英語を話すべきだと主張しました。総長は日本語のグローバル化、私は英語のグローバル化を主張していたのでしょう。なぜ、二人の意見が異なったのか、しばらくわからずに悩みました。

総長は医学部出身です。世界的に有名な免疫学の先生ですが、医師免許を持っておられます。お医者さんです。医師国家試験は日本語のみで行われます。医学を英語で学んでいては医者にはなれないのです。英語では日本ではお医者さんになれないのです。国家試験が英語になることあるいはバイリンガル化されることは、まずないだろうと思います。なぜなら、患者さんが英語が話せないのです。「先生、昨日から胸がむかむかしてはきそうで、頭ががんがんしてフラフラしています」。患者さんの言われることをお医者さんが理解できなければ、診断も治療もできません。日本ではお医者さんは日本語が話せることが必要です。

科学研究の世界には患者さんがいないので、言葉は日本語でも英語でもどちらでも構いません。技術分野でもエンジニアが顧客と直接話をするわけではないので、言語にこだわりはありません。世界の人と競争しあるいは協調をして科学技術を推進していくのですから、科学や技術の分野では日本語よりもむしろ、世界で広く使われている言語すなわち英語の方が必要です。自動車も電化製品も世界共通ですから、英語を使えることが必要です。

私の研究室は1996年に公用語を日本語から英語に切り替えました。ゼミや会議など公的な行事はすべて英語で行っています。これは、日本語を話せない留学生や研究員に対する配慮のようでもあり、私にとって日本語の不自由な外国人と日本語で議論することの非効率性を避け、日本語を彼らに教える時間とコストを節約することにより、科学に集中するためでもありました。その結果、研究室には常に大勢の海外出身の留学生や研究員、教員が在籍するという研究室になりました。これはグローバル化ではなく、国際化です。もちろん日本語を得意とする人だけしか参加していない会議や打ち合わせは、日本語で議論をします。そんな状況はほとんど存在しませんが。

もう一つの間違った言葉の「キャリア教育」について書くスペースがなくなってしまいました。またの機会にしましょう。最後に先月のメッセージの最後のフレーズを繰り返します。

言葉に人は感じ、怒り、笑い、涙します。日本の文科省や教育関係者は言葉をもっと大切にしてほしいと願います。


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