2013年10月のメッセージ

不正行為と芝エビ


日本の役所や大学や研究組織は、いま研究者の不正行為の取り締まりに躍起です。それほど最近、研究者の不正行為が多くなってきているということなんでしょう。不正行為が起きる理由についてすこし考えてみたいと思います。原因を探らずに取り締まってみてもモグラたたき。本当の解決にはなりません。


たとえば、試験のカンニングはなぜ起きるのでしょう。大学での試験のカンニングは、とくに教養部でよく起きます。先日もカンニングが見つかって、ほかの授業も含めてすべての単位を剥奪された学生がいました。厳罰です。この機会に、不正行為を完全阻止したいということでしょう。


私はむしろなぜ学生達がカンニングをするのかに興味があります。英会話学校に自費で通っている学生が、そこの試験でカンニングをすることはないと思います。そんなことやっても英会話力が向上するわけではなく、意味がないからです。英語が話せるようになりたいと思って高い授業料を払って通っているのですから、カンニングのメリットはありません。それと比べて大学の教養の語学の試験では、カンニングが非常に多い。語学を学びたいという思いよりも、語学を適当にサボって早く専門課程に進みたいと思うなら、試験をカンニングするかもしれません。カリキュラムが学生のニーズに合致していないのかもしれません。教える先生の授業内容も、学生の求めるものと合っていないかもしれません。授業で学ぶ意味が見いだせないと、学生は勉強をしません。専門の授業でも、実は学生に不評な講義ほどカンニングは多いのです。 教える側にも反省が必要です。


かつて日本の大学や役所では、カラ出張が常習化していました。国民の税金を使ってのカラ出張は非常に悪質な不正行為の一つなのに、これが慢性化していたのです。カラ出張で得たお金は必ずしも私的に使われるのではなく、必要な公務の経費の支払いに流用されていることが多かったろうと思います。領収書を提出すれば必要経費が支払われる企業の会計制度と異なり、国の会計制度では領収書が認められないことが多く、公務に関わる必要経費も自腹で負担せざるを得なかったからです。


とくに大学では、学会や研究会での成果発表の参加費や旅費、雑誌の年間購読費、論文投稿料などなど、公務であっても経費は支払われない項目は山とありました。レンタカーやタクシーを使えば時間も経費も節約できるような都市で開催される学会へ参加にも、わざわざ高い飛行機に乗って無駄な経費を使うことを求められました。年度初めには単年度会計制度のために研究費がなく研究活動に大きな支障を生んだり、国際会議を主催するための経費が個人負担であったり、わずかな額の科研費でも年度末にはそれを0円にして終わらせるために必要でない物品を購入させられたり、 ありとあらゆるところに矛盾がありました。 独立法人化した後は、国立大学の会計制度は民間と同じになったはずなのですが、現実にはまだまだ自己規制があり、無駄のない予算の運用は簡単ではありません。


研究に特に重要な高額な実験設備の購入には、国際入札が義務づけられます。機種選定をしてした後、官報に一定期間情報を載せる必要があるために、発注までは通常半年以上掛かります。この半年という期間のロスは、研究の進展に致命的であるのみならず、しばしば年度内の納品を難しくします。そこに業者への預け金とかプール金という不正が生まれ得ます。そして、この預け金の一部が私的に流用されるという、本当の不正が誘発されます。厳しく取り締まり、厳罰を与えるだけでは不正行為を絶滅することは難しく、会計制度の不備を直すことが必要です。しかし何十年経っても、抜本的な制度はなされません。予算の不正使用は、硬直化した会計制度が大きな原因の一つだと思います。


この問題は、歩行者も自転車も走らない高速道路の見晴らしの良い直線部分で、車が一台も走っていないタイミングを見計らって、ネズミ捕りをする日本の警察に似ています。日本の警察は、なぜ一向にスピード違反が減らないのかの原因が分からないのだろうと思います。目的は事故なく目的地に早く着く道路整備と管理です。

 

さて話題を戻して、研究者の不正の件。最近の研究者の不正は、お金よりもデータ捏造や人の論文の盗作です。科学者とは金儲けや金の不正とは本来最も縁遠い職業であるのと同様に、データ捏造や論文盗作は関心すら持たない人種の筈です。それが不正をするというのはどうにも妙です。研究者に不正を誘導する環境があるのではないでしょうか。


科学者は科学を開拓し(発明、発見、創造、体系化など)、その成果を学術誌に発表します。発表した成果は同じ分野の人たちに刺激と新たな発想を与え、その分野のさらなる進歩を生み出します。そして、分野を超えてさらなる展開を生み出し、広く自然科学や産業・医療の現場に影響を与え、一般社会に貢献します。だから、科学者には論文発表することが求められます。


しかし、これはあくまで成果が出たときに限られるはずです。成果もないのに論文を書くことが要求されると、恐ろしいことにデータを捏造したり盗作するという可能性が生まれるのです。昨今、日本の大学や役所は、毎年毎年、研究者に論文発表を求めます。それに応えなければ契約更新もないという立場の人が増えています。しかし、コンスタントに成果が出るような研究は、大したテーマではありません。私は理研に赴任したとき、メンバーに2年間の論文発表の禁止を宣言しました。締め切りに追われた研究からは本当にすごい成果は生まれないと思ったからです。2年間充電をして、3年経てばまとめて論文を書けばよい(その時は複数も可です)と伝えました。この方針の下で大きなテーマを掘り当て大きな成果を得たメンバーもいますし、締め切りのないことに慣れてしまって論文が書けなくなったメンバーもいます。科学を生むと言うことは簡単ではないのです。余裕のないところからは、卓越した科学的成果や卓越した科学者は生まれません。


この話は小学生への教育現場にも当てはまります。昨今、批判が集中するゆとり教育も、それ自体が間違っていたのではなく、ゆとり教育の中身に自由を与えず画一化したことが間違いだったのです。 高校生に、何度も何度もセンター入試を受けさせようとする今話題の新しい入試制度の議論も、同じ過ちを生み出す恐れがあります。


契約して研究するポスドクのみならず、契約更新のない教授もまたひたすらコンスタントに論文を書き続けます。3年(あるいは10年)に一度大きな成果というやり方は、いまはなかなか通じなくなっています。研究には研究費が必要であり、いわゆる競争的資金を獲得するためには、ひたすらコンスタントに論文を書かなければなりません。そこに不正の芽が生まれます。


不正を働く人たちは決して愉快犯ではありません。カンニングもスピード違反も論文の不正捏造も研究費の不正使用も、愉快犯の比率はとても小さいだろうとおもいます。必要性を感じない授業や妥当でない制限速度と同様、必要でない論文を書くことを強制されると不正が生まれます。


不正を取り締まることにはしゃぎ回るより、不正がなぜ起きるのかの原因を探ることが、知識人に求められます。科学者の品性といってもいい。マスコミや役人には無理だとしても、大学人や科学者はこの不正取り締まりには冷めた目で見ましょう。所詮、不正取り締まりの方法は自ら不正をする人にしか思いつかないのです。


最近のテレビや新聞では、ホテルのレストランで出た料理の材料が芝エビではなく何とか海老だったとか、伊勢エビは実は海外物のロブスターだったとか、大騒ぎです。私は「美味しかったらいいのじゃあないの」と思ってしまいます。逆に本物の芝エビや伊勢エビでも、美味しくなければ断固、文句を言います。腐っていれば、もちろん営業停止処分です。レストランの料理とは結局は美味しいか美味しくないかに尽きると思うのです。


サツマイモは鹿児島(薩摩)で採れたサツマイモでなくても良さそうですが、山形牛は山形産でないとダメなんだそうです。でも、神戸で牛は飼っていないはずなので、神戸ビーフは神戸産ではないはずです。アメリカでは上等なステーキならアメリカ産でもコーベビーフと呼びます。佃煮は佃でなくても佃煮、長崎ちゃんぽんは長崎以外にも全国にあります。西京焼きも京都以外のお店でも出てくるし、奈良漬けも奈良で漬けていなくてもいいとに思います。薩摩揚げも薩摩で作らなくても多分OK。名古屋コーチンは、名古屋以外でもいいのか分かりません。 信州味噌も分からない。浅草海苔は、浅草では採れないと思います。


捏造とか偽装は、形式主義者に権威を与えたときから生まれるのです。美味しい料理を出してくれるお店、新しい科学を生み出してくれる科学者に対して、数字や形式で評価しようとする限り、不正・捏造は終わることがないでしょう。


話題の芝エビは、芝浦ではもう採れないと思います。伊勢エビは伊勢以外でも採れると思います。


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