私は、新しい科学や技術とは互いに競争することによって進歩するものではなく、たったひとりの人の頭脳から生まれてくるものだと信じています。世俗的な競争原理が新しい科学を生みだすことはないと確信します。科学は個人のひらめきから生まれると思うのです。99%の努力があっても1%のひらめきがなければ、科学は生まれません。科学者は、競争をして相手を負かせれば勝利することはありません。努力をすれば成功するのでもありません。ニュートンが万有引力の法則や微積分を生み出したのも、アインシュタインの相対性理論や光量子やブラウン運動も、競争の中から生まれたのではありません。彼らの成果は、もちろん所属機関の功績でもありません。所属機関が個人の研究成果を宣伝しすぎることにも、違和感を覚えます。
もしトーマスエジソンがこの世にいなかったらもしスティーブ・ジョブズかいなければ、今とは違った社会であったと思います。科学も技術も人がひとりで生みだすと思います。競争とか連携が研究を加速することはあっても、それ自身が科学を生み出すことはないのです。
というようなことを考えていたら、表題の記事に目が止まりました。英国物理学会が発刊する機関誌「Physics World」の2014年4月号の記事です [1]。完全コピペすると袋叩きに遭うので、つまみ食いコピー訳をしてみましょう。
ニュートンは強く望んだそうです。アインシュタインもキャヴェンディッシュもディラックもそうだったそうです(Physics Worldなので登場人物は物理系ばかりです)。沈黙(Silence)をです。それは孤独(Solitude)を伴います。沈黙こそが物理学の歴史です。ところが、少なくとも今の英国の科学技術政策は、沈黙と全く逆のやり方を求めます。(「少なくとも」と書かれているのは、この雑誌は英国物理学会誌だからで、他の国も一緒だろうと暗に言っています。)もっと論文を書け、もっと連携せよの強要は、物理学の創造性を失わせてしまうのではないでしょうか。ニュートンもキャヴェンディッシュも論文を出すことをとても嫌がったそうです。この記事には、超著名な科学者たちがいかにスピーチ嫌いでコミュニケション嫌いで、共同研究も発表も嫌いで、静けさと孤独を求めてきたかの逸話が多く述べられています。「最も成功した科学者とは公開の議論と私的な熟考との間の押し引きを抑えきれた人たちであった。しかし今の科学技術騒動には控えめさも静けさもない」と結論づけています。そして「科学研究から静けさを奪い取れば、後に残るのは雑音だけだ」との言葉で終わります。
こんな記事が、応物学会の会誌「応用物理」にもさりげなく載ればかっこいいのに、と改めて感心した次第です。
科学研究の助成金や教育プログラムを「競争的資金」と呼ぶ感覚からは、優れた科学や優れた教育が生まれる予感はしません。私の思う「カッコイイ」研究とは、競争や宣伝などはせず高額の研究費や最先端の装置も使わず、共同研究者もいなくて流行とも無縁で、流行を組み合わせtりしない品格のある科学です。それを実現するためには、他人の論文や資料を持たずに一人山に籠もり、そして一人で瞑想にふけるのです。闘いに勝利したスポーツ選手はよく試合の後に「自分に勝った」とか「最大のライバルは自分自身だった」と発言します。科学もまた自分との闘いなんです。他人との競争や他人への宣伝からは本当に新しい科学は生まれません。評価、審査からも新しい科学は生まれません。先端融合イノベーション拠点の中間評価に出てくる出口戦略とか公募要領に則った委員会開催とか国費に見合う成果などの文章表現にはぎらぎらとしたものを感じて、私は今も納得がいきません。
科学とはThe Power of Silenceなんだろうと思います。