2016年3月のメッセージ

裁判所は民主主義を超えている?


「お奉行さま」といえば北町奉行、遠山金四郎景元。皆がひれ伏すのは桜吹雪の彫り物のせいではなく、遠山の金さんが町奉行だからです。町奉行は首長と裁判官と警察官の全ての権限を持っていました。誰も町奉行や代官に逆らうことはできませんでした。今の中国と同じ構造です。三権が分立したのは明治になって大日本帝国憲法ができてからです。とはいってもそれはまだ不完全なものであったので、軍部の暴走を許してしまうことになりました。本当に分立したのは、新憲法になってからでしょう。


しかし、この三権分立にどうも綻びがあるような気がしてきました。司法が立法よりも行政よりも(すわなち国民よりも)、上位にあると思っているように見えます。大岡裁きは江戸時代の話です。それなのに、今の時代にも裁判官が偉すぎると思わせるニュースが多いのです。日本は民主主義国家ですから、国民が国会議員と政党を選んで、次の選挙までは最大党派に政治を任せます。国民は裁判官を選べません。ところが、


国民の選んだ国会議員で構成される国会で決まった原子力規制委員会設置法に基づく原子力規制委員会の決定を、地裁の裁判官が覆しました。3月9日の大津地裁での、関西電力高浜原子力発電所3、4号機の運転差し止めを命じた仮処分決定です。


その結果、関西電力は予定していた電気代の値下げを辞めました。控訴することはできるのですが、相当の年月がかかることでしょう。その間、関西地区の住民の電気代は高いままですので、市民生活に大きな影響を与えます。運転差し止めの仮処分は福井地裁で今年の1月に取り消されたのですが、今回は原発のある福井ではなく大津の裁判所で、それが覆されました。異なる場所の異なる裁判官によって判決がころころと変わって、電気代が上がったり下がったりと市民生活に影響を与えます。関西電力の株価もまた、この裁判によって大きく下がりました。今回に特に新しい証拠が出されたわけではなかったと思います。大津の裁判官さんは遠山の金さんのつもりなんでしょうか。しかも異例なことに、次の裁判も同じ裁判官が行うとのことです。


原発も火力発電も水力発電も危険で環境破壊です。風力発電や太陽光発電も大変な環境破壊で、かつ危険です。それでも人類がエネルギーを消費するべきかどうかは、地裁の裁判官ではなく民主主義で決めるべきだと思います。そのために、政党は選挙で政策を争います。エネルギー政策は裁判所ではなく立法が担当する政治的な課題です。裁判官は「事故の原因究明が道半ばで、規制委の姿勢に不安がある」との説明で、判決しました。個人的に規制委の姿勢に不安であるのは結構ですが、これでは立法への挑戦です。司法が立法よりも行政よりも上にあるという思い上がった発想があると思います。


日本は、原発よりも裁判所が危険です。


私は、原発再稼働について賛成と言っているのでは全くありません。一地方裁判所の裁判官が「立法」に従った設置法に基づいて成り立っている委員会に「不安を感じる」という理由で行政に干渉し、国民生活に影響をあたえることは越権だと言いたいのです。しかも、今回の裁判官の説明には科学的な論証が全く欠落します。


このような最近の裁判所の民主主義の軽視は、他でもたくさん見ることができます。アメリカで導入されている陪審員制度を日本でも導入しましたが(日本では裁判員制度)、一般人から選ばれた裁判員の判決を裁判長がことごとく覆しています。自分たちは専門家だが裁判員は素人だという思い上がりが、民主主義を壊します。アメリカの裁判所では決して許されないことです。


地裁・高裁が参院選挙制度に対して、それぞれに合憲だとか違憲だとか違憲状態という判決をするのも、越権です。政治家の選挙制度改革の怠慢はひどいものですが、それに対する判決は民主的に議員選挙で国民が行うべきものです。地裁・高裁という「お上」が「これにて一件落着」と判決することではないと思います。個人的には、衆議院は多数決の原理に基づき1票の格差を限りなく解消するべきだと思いますが、参議院はそうであるべきではないと思っています。もしそうなら参議院は衆議院のコピーであって、参議院は無用になります。参議院は衆議院と異なり多数決の原理とは異なるべきです。アメリカ、イギリス、ドイツ、先進国は全てそうです。それらの国では貴族院は元老院とか上院と呼ばれて、1票の格差は簡単に数十倍に及びます。だからこそ衆院での大衆の多数決による暴走や多数派への利益誘導、少数派弾圧を押さえることができるのです。他国の上院は、地方自治体によって推薦された人とか高額納税者とか有識者とか貴族とかから構成されます。参議院の会議は衆院ほど頻繁に開催する必要はなく、議員は無報酬で良いと思います。衆院と参院の間にねじれが生じることは健全なことであり、多数派による横暴を押さえることができるのです[このあたりについては、2013年6月のメッセージにも書きました]。


私たちは国会議員を選挙で選んで、選挙で落とすことができます。しかし裁判官はいかに変人であってもいかに悪人であっても私たちには選ぶことができないのです[最高裁判事は一応選べますが、所信表明をしないので全く意味がありません]。だから裁判官は、政治的課題については十分に謙虚であってほしいと思います。


我々もエネルギー問題や環境問題や選挙制度改革は裁判所に頼るのではなく、政治家を選ぶ選挙で争いましょう。


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