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日本人とは、古来より森や海、山河を愛し、自然と共に生きる人たちです。欧米の都市のようにわざわざ人工的な芝生やバラ園の公園を造ることなく、自然の森や小川や鎮守の社が子供達の遊び場となっていました。京都の町のお寺の庭園は、自然の川の水をうまく引き込んで、また周囲の風景を「借景」として取り込んで、庭の中に自然を楽しみます。日本人が故郷を想うときは、いつも山や森、川や海を想います。
それでも、どうしても自然を破壊しなければならないことがあります。弥生時代以来農耕民族となった日本人は、田圃を耕して稲作をして生きます。田を耕すためには、自然の土地を開墾しなければなりません。自分達の食料を安定的に得るために、野生の動物たちの住処を奪うのです。京都伏見の森を開墾した秦氏は、自然破壊の祟りを恐れ、稲荷神社を建てて森に棲むオオカミ(大神)を祀り、稲の豊作に感謝し、お稲荷さんにお供えをしたそうです。オオカミが狐に転じたのか、元々狐も狼と呼ばれていたのか分かりませんが、稲荷神社と言えば、いまではお狐さんを祀ります。稲荷と言う言葉はもとは稲成と書き、日本の神社で数が一番多いのが稲荷神社だそうです。このあたりは、梅原孟氏「癒しとルサンチマン」に学びました[1]。
わびやさびを愛し、自然の守り自然と共生するのが、古来日本人の生き方だったろうと思います。京都嵯峨野に点在する寺院は、当時の日本最大の都会・都ですら、そのすぐ近くで自然と共生する日本人の行き方を教えてくれます。日本人は、自然を破壊することに対して大変罪を感じる民族だった、と思います。 だった、と、、、。
ところが、いまの日本の環境破壊に対する鈍感さは、同じ人種とは信じられないほど、本来の日本人の感性とかけ離れたものになってしまっています。
話は、神戸の空港についてです。これは国の事業ではなく神戸市の事業ですから、メディアでは大きな話題にはなりません。しかしその環境破壊の悪質さは、他の環境破壊より2〜3倍酷いのです。山を削り森に生きる野生の動物・植物を殺し、その砂を海に捨てて埋め立てて湾に生きる野生の魚を殺し、さらに空を汚して空に飛ぶ鳥や虫を追いやり、海と山と空の環境を一気に破壊するからです。
神戸市は、これまでも六甲山の森林を切り崩してその土で神戸湾を埋め立てて、ポートアイランドや六甲アイランドを造り、山と海に住宅地を造りました。一石二鳥というわけです。標高一千メートルの六甲山が神戸港に迫る神戸の街には平地が少なく、住宅地が不足していました。だから、神戸の人たちが生きていくために仕方がないことだと、考えられます。丁度、伏見の森を開墾して田圃を耕した秦氏と同じです。
ただし、このような場合は、必ず稲荷神社を建ててお稲荷さんを祀り、祟りが起きないように野生の生き物と自然の環境に対して鎮魂をしなければなりません。ところが、日本中至る所にある稲荷神社が、ポートアイランドにはありません。昔の日本人なら間違いなく、ポートアイランドに日本一立派な稲荷神社を建てて、毎日、毎月、毎年、欠かさずお参りしお供えをすることでしょう。
神戸の大地震は、山を削り森を破壊し海を埋め立て海を汚した神戸市への、自然のしっぺ返し、お稲荷さんの祟り、かもしれません。稲荷神社があれば、地震の被害がもっと少なかったかどうかは分かりません。少なくとも、神を畏れ自然を畏れる心を失うと、災害への備えが疎かになることは確かだろうと思います。
それでもなお、私は、神戸の人にとって住む土地を得るために、ポートアイランドの埋め立ては辛うじて許されることであったであろうと、思っています。重大な問題は、ポートアイランドの2期埋立地のさらにその向こうにいま埋め立てている、神戸空港です。海と山の自然を破壊してさらに空まで汚して神戸空港を造らなければならないとう正義はどこにあるのでしょうか。大阪湾には関西空港があり、大阪と神戸の間には伊丹空港があります。伊丹空港の需要は益々高く、関空は2つ目の滑走路を造成中です。第3の空港を是非欲しいと思っている乗客は、ほとんどいないと思います。むしろ、空港が3つに分散されると不便であり、ほとんどの乗客は、神戸に第3の空港を造って欲しくないと思っていると思います。そもそも関空は神戸港沖に造るはずだったのが、神戸の住民が空と海の環境汚染と騒音を嫌って猛反対して、泉南沖になったいきさつがあります。
貿易港・神戸は、船から飛行機の時代に変わるにつれて、貿易都市として力が落ちつつあります。本当は、今でも船による貿易は十分にその需要が高いのですが、日本一の貿易量を誇っていた神戸が、いまや横浜、名古屋、大阪、東京と比べて著しくその貿易量が減っていると聞きます。そのことの原因をしっかり調べることなく、航空貿易によってこの港・神戸を復興しようと考えたのでしょう。しかし、神戸空港は国内線しか飛ばないのです。もし神戸の産業を復興させたてれば、貨物専用の国際空港を目指すべきであっただろうと思います。国内線の旅客用の空港を神戸に造っても、その需要は貿易港のそれとは別のビジネスです。大失敗して巨額の赤字を抱え込むことになるかもしれいないので、関経連もジャーナリズムも近畿の他の自治体も、まるで対岸の火事の如く、誰もこの空港建設を止めようとしないのです。
一体誰が、神戸の環境を破壊してでも神戸に空港を造りたいと思っているのでしょう。神戸に空港を造ると得をする人は誰でしょう。郵便局の民営化を反対する運動とそっくりな構図が、そこに見えます。インターネットと宅急便全盛の今とその将来において、人々が郵便局を使わなくなってきているのに、決して郵便局を民営化してはいけないと言っている人たちは、世襲制の特定郵便局の局長さんと、選挙の時に彼らから票をもらう一部の国会議員だけでしょう。神戸空港についても、同じ話です。
それで被害を受けるのは、3つの空港の間を行き来しなければならない乗客達と、経営破綻の時に税金が投入される神戸市民です。しかし、それよりも山と海と空の環境を破壊され、住処を失う生き物が可哀想です。自然を安易に破壊すると、きっと祟りがあると思います。今回は、稲荷神社を建てたぐらいでは許されないでしょう。
こんな話を、先日、神戸のMOMOという集まりで講演しました[2]。神戸市役所の人が来るかなと思って気合いを入れて準備したのですが、市役所の人は誰も来られなませんでした。そこで、今月のメッセージとして、記しておきたいと思います。
日本で飛行機から見える景色や電車から見える景色は、最近どんどん醜くなりつつあります。飛行機からは、緑の山の中を削って造った高速道路の両側の切り立ったコンクリートの白い壁が醜く見え、電車からは、カーブで脱線すればきっと激突するだろう所にコンクリートのマンションがかぶりつくように立っているのが見えます[3]。郊外の小川や池はコンクリートの土手が垂直に切り立って動物や子供達を隔離し、海岸にはコンクリートの巨大が防波堤が立ちはだかります。災害から人を守っているつもりでしょうが、ほんとうは環境を破壊し野生の生き物を殺し、人を自然から遠ざけています。このようなことは国の助成金を受けて、地方自治体が行います。自然を愛し、自然を守り、自然を畏れ、自然の生き物と共に生き、そして自然を破壊したときは町々・村々に稲荷神社を建てた日本人の心を、いまの神戸の人たちはわすれてしまったのでしょうか。
| [1] |
梅原 猛、「癒しとルサンチマン」、文藝春秋、1997. |
| [2] |
2005年6月11日。神戸MOMO@神戸ハーバーランドビル |
| [3] |
河田 聡ホームページ、2005年6月のメッセージ。 |
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